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生きることそのものに意味は無くてもいいという話

意味を見出したくなるのは辛い目に遭っている時

おはよう or こんにちは or こんばんは、uatuyat(ウアツヤト)です。30代無職の独身です。

先日、約7年ほど勤めた会社を退職しました。お金の心配は多少なりともあれど、今はストレスも特になく心中穏やかに過ごせています。

ふとした瞬間に会社員でいた時期を思い出すのですが、大抵は碌な記憶ではりませんでした。(プラス方向に思い出補正が発動することもきっとないですね)

・上司やお客様からの、理不尽な要求や扱い
・非効率で無駄にしか思えない業務や会社の規則
・自身の無能さによって滞る仕事
・頑張っても損をする仕組み(仕事を早めに終わらせても新たな仕事が振られる等)
etc

若手であることを差し引いても、キリがないくらい嫌な思い出で溢れていました。そんな辛い時は、よく以下のことを自問自答していました。

「私は何のために働いているのだろうか」
「受験・就活を頑張った意味は果たしてあったのだろうか」
「どうして会社員でいることはこんなにもやりづらいのだろうか」

果てにはこう考えるのです。「私は何のために生きているのだろうか」と。

考えるきっかけ自体は社会人生活でよくあることなのに、いつの間にかスケールが大きく、哲学的な話になってしまうんですよね。ですが、いったん思考し始めるとしばらくは止まりませんでした。かと言って、考えても考えても、自身を慰められるような、今の境遇から救いを得られるような、そんな劇的な答えは出せませんでした。

ある日、私は思ったのです。元々人生に意味なんてものは無くて、ただ意味を見出そうとしているだけではないのかと。前振りが長くなりましたが、ようやく本題に移れます。

意味が無いことは本当にダメなのか

突然ではありますが、私は少年漫画が割と好きで、結構読みます。その中でも特に私の好きなキャラの、とある名言を紹介します。(出典は伏せます)

『人間は無意味に生まれて』『無関係に生きて』『無価値に死ぬに決まってるのにさ』

「いや、お前中二病かよ」と言われてしまえばそれまでかもしれません。私も読んだ当時は、どちらかというと暗い印象を持つ発言でした。

しかし、社会人になってこの文言を思い返すと、実は一周回ってポジティブな表現なのではないかと私は思うのです。(解釈違いと言われるかもしれませんが)

生まれてきたことに意味は無い。だから意味を見出さなくてもいい
生きていくことに関係は無い。だから関係を作らなくてもいい
死んでいくので価値は無い。だから価値を求めなくてもいい

意味や関係や価値そのものが、ある種の重荷になっていて、それらが有ることが余計に苦しくなるのではないか。そういう風に私は考えさせられます。

「いや、意味も価値もない人生なんて嫌だ。自分にとってそれが今は分からなくても、それを見つけることが大切なんだ」

上記の考えをお持ちの方もいらっしゃると思います。私もその考えをする時がありますので、否定しません。

ただ、私がお伝えしたいのは、そうやって意味や価値を追求していくのに疲れてしまっていた時に、「本当にそれは探さないといけないものなのか」、「無いといけないものなのか」等、そもそもスタート地点について少し考えを巡らせてみてはいかがでしょうかということです。

他人に多大な迷惑をかけないようにしつつ、1度キリの人生において、肩の荷を下ろし、自由に、好きに生きてもいいのではないかと私は思います。

今回の記事はここでお開きにします。

では!

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