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新しい曲です

完全新規で曲が出来ました。作業時間二日。
『inside/outside』と名がついています。

正直それだけで終わらせたいのだけれど折角のnoteなのだからそうもいかないでしょう。少し綴ります。


とは言ったものの、自分で作った楽曲に対して何か聴き手へ向けた言葉を付け足すのは、正直あまりやりたくない。

なぜなら受け取ったままで聴いてほしい、そう思っている故です。

ここ苦労したんです、とか、こういう思いを込めたんです、とか自分は要らないんです。知りたければそれを知っても良いだろうけれど、作り手からそれを押し付けるのは違うと思ってしまう。その前提がないと成立しない音楽って何だろう、どう取ろうが聴き手次第だし。音でだけで語れない音楽家って何だろう。伝わらなかったらそれは単なる自身の力不足として伝わるまで音像と言葉繰りを極め続けることが我々の歩み方ではないのでしょうか。

まぁこの考え方自体が大分極端な自覚はありますけれど。

さらに言ってしまえば、自分はその先こそが音楽で一番欲しいものかもしれない。

聴かれて、その人がその先でどうなったか、それが一番知りたい。

ずっと、自分は作り上げた楽曲は花のようなものだと思っていた。
フレーズや言葉、感情から生まれて、展開やコードの当て方で育てて、そして開いた花を、そっとふさわしい場所に置くような、そんな作業だと思っていた。

けれど、最近違うことに気が付き。

自分は、曲の形になっても、まだまだ種として作っている。
本当に知りたいのは、誰かの日常の中にぽつんと一粒入り込んで、そこからどんな花が咲くか、どんな色になったのか、その人の日常の何処を彩ったのか、それが知りたい。

そんな風に置ける音楽を作りたくて、ずっと続けているのだと、この前、ふと気付きまして。

その上で、今回の曲もそうで、私が作る歌詞は、どんどん曖昧な言葉になっていっており。
この『inside/outside』に関しては、最早描いている感情がどういう感情なのか判りづらいレベルの言葉をしている。しかし、描きたかったものといえば、これ以上の言葉面は無いようにも思います。

その上で、『あなたはこの唄の中に何を見ましたか?』という問いをしたい、

そんな作り方をしてしまうのです。

最近の、世間一般の曲からしたら、これほど邪道な歌詞の作り方も無いとは思います。情景描写は細かく、誰でも想像がつくような歌詞、固有名詞や商品名が出てくるようなことも大分増えた気がしますね。

私は、嫌です。

その歌と同じ状況にいなきゃ、置けない歌とか、歌い手の日常以外になり得ない歌とか、あまり気が進まない。

確かに、何かの比喩として、歌詞そのものの世界を構築する手法もある。それはそれで自分は好きで、昔はよく使っていたし『とある料理人の昔話』なんて私の曲を覚えておいでの方はまさにそれがそうです。

形はどうあれ、やんわりとした主張をもって、誰かの日常に自然に置けて、そこからその誰かを何処かへ向かせるような、そんな唄が良い。

その自分の姿勢自体も、こう文面にしてみるとなんと矛盾を孕んだ、判り辛いスタンスだろうと思う。けれどそれは文面にするより音楽でやれという話で、曲を聴かれてそれが伝わっていない時点で自分の実力不足以上でも以下でもない。

さて、今度はどうでしょうね。

出来はともかく、久しぶりに自分らしい曲だな、と思うものに仕上がった気がします。

前回のnoteでsallvage blleumineを混声ボーカルでやりたい、という事を綴り、そうしてこれが仕上がって、まさにこんな感じのバンドがしたい、という一つにはなってくれたようにも思う。

私はこれが、自分のバンドの種になったらそれはそれで嬉しいし、また、別の感情を持ってくれても全然構わないのです。

聴いてくれたあなたの明日はどうなるだろう、その明日にも自分の曲はあり続けてくれるだろうか。

さて、どうですか。

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