ヒトって、なんだ? 「いきものとして」

前回、「生きるって、なんだ?」では私達はなぜ生きるのか?というのを、縄文人や旧石器時代のヒトという古代をキーワードにしてみた。


テーマであった「生きるって、なんだ?」というのは正解の無い問いだと思っている。

各々が各々の方法で見つけるしかないもので、私としては雨宮国広さん(Jomonさん)から多くのヒントをもらったという意味で紹介に留めた。



今回は、Jomonさんにも引き続き登場して頂き、「ヒトって、なんだ?」というのを少し考えてみたい。

そこから見えてくる「生きるって、なんだ?」もあるかもしれない。



さて、私達は縄文人や古代人ではなく、21世紀を生きる現代人である。


縄文人というのは今から約12000年前~2300年前の日本列島に生きたヒトのこと。

さらに遡って約12000年より前の時代を旧石器時代としている。(その時代に生きた人を旧石器人とする)


ヒトは文明の展開と共に様々なものを手にしてきた。


例えば大工、というか木や木材を切る(加工する)という点においていえば日本列島では

・縄文時代 石斧

・古墳時代 鉄斧 

・中世 鋸(ノコギリ)

・近代 チェーンソー等の動力付き加工機械

※ノコギリは諸説あり


といった具合で手にする道具が変わったり、増えてきたことがわかる。


この変遷を「かつての時代は、この発明がなかったからこの道具がなかったから、これができなかった」

また

「この時代には、これが出土していないので、これは行われてなかった。または、これは存在しなかった」

という歴史的な考察があるが、これはあながち全てには当てはまらないのではないかとJomon さんは言う。


具体的には、Jomonさんが携わった「三万年前の航海徹底再現プロジェクト」というものから見えてくるものがある。

このプロジェクトの詳細は以下で確認をお願いしたいのだが

https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

簡単に説明すると、、

旧石器時代の人間が三万年以上前に、日本列島に海を越えてやって来た。

プロジェクトは、その私達の祖先の航海を科学的に検証し、知られざる「本当の原始人類達の姿に迫る」といったものであった。


中でも「沖縄ルート」と呼ばれる、台湾方面からの航路のひとつ、「台湾から与那国島」最短距離111kmが実験航路の対象である。


世界最大規模の海流「黒潮」が海峡全体へと広がる。現代の船でも、この海峡を横断することは大変とされているのに、三万年前以上前に「原始の船」で越えてきた旧石器人が存在するのだという。


なんだか、これを聞いただけでもワクワクドキドキが止まらない、、。

そう、なにを隠そう私は幼い頃、古生物学者になりたいと思っていた時期があった。なんだかこの時の気持ちを思い出した。胸の奥底から好奇心が湧いてくる。ウズウズも止まらない。

が、少し興奮を押さえて話を戻そう。



先に紹介したJomonさんこと、雨宮さんはプロジェクトにおいて海峡を渡る「漕ぎ手」ではなく、渡るための「丸木舟の製作」で携わることになるのだか。


そもそも、旧石器時代に丸木舟が存在するのか?という話になる。


実は縄文時代の丸木舟は出土があるのだか、旧石器時代のものは未だ無いという。

専門家は「丸木舟の使用は縄文時代からで、旧石器時代の水上航行道具は浮力のある自然素材を束ねたものだろう」という見解。

しかし、丸木舟の前に草を編んで作った船と、竹の筏船で二度実験をしていたのだが、両方失敗していたのだ。


しかしながら、日本列島には「旧石器時代に(現在確認できる)人類最古の意図的な長距離往復航海を示す事例」が存在するという。またなんとも、ワクワクドキドキが止まらない。


「静岡県沼津市にある、約38000年前の旧石器時代の井出丸山遺跡の石器群に、神津島産の黒曜石が含まれていた。井出丸山の旧石器人は、黒曜石を獲得するために神津島へ渡り、再び本土へと戻ってきたことになる。」

(僕は縄文大工 より)

地図で確認すると伊豆半島の先端あたり下田から神津島は往復で100km程度ありそうだ。


この事から、旧石器時代にはかなりの高性能な船を作り上げる技術と、船を操作する航海術があったであろうと推測される。

ただ、船の遺物が“見つかってないだけ”なのかもしれない。


そこで、雨宮さんは未知の世界へと入っていく。

出土例の無い旧石器時代の「おそらく存在していたと思われる丸木舟」を縄文時代の丸木舟を参考に製作するのだ。

この未知の世界が、雨宮さんを含むプロジェクトメンバーと旧石器人、縄文人との対話へと導いていく。


どんな船を、どんな道具で作って、どうやって航海したのか、、正直「誰もわからない」。そうなると、多くを推測してやっていくしかないのだが、頭の中の旧石器人達に想いを馳せていくのである。

「きっと、こんな風にしたんじゃないかな。」

「これは大変すぎる。きっとこっちを選んだだろう。」


その中で見えてくる外用航海に臨んだ旧石器人達、、、。


雨宮さんはプロジェクトを通じて以下の感想を記述している。

「従来の原始人は野蛮人だというイメージがなくなっていった。」

「原始人達に教えられることが実に多い。」「丸木舟づくりは、一つの小さな集団の事業ではなく、複数の集団のものであり、しかもその情報を、かなり広範囲な人々までもが共有して、見守り育て上げたのではないかと私は考えている。」「私は大工の道を32年間歩んできたが、手道具の使い方を本格的に習得しようと思い立って23年になる。にもかかわらず、石斧を使いこなす技術がとても高度なものであることを痛感させられた。」

と、旧石器時代の人々の知られざる姿を考察している。


漕ぎ手のクルー達も恐らく雨宮さんのような旧石器人達との対話があっただろう。

まさに実践者のみが知り得る世界だと思う。

そちらにも物凄く興味が湧いてくるが、、、


話を最初に戻そう。

ヒトは文明の展開と共に様々なものを手にしてきた。

だが、「発明がなかったからできなかった」「道具がなかったからできなかった」というのは、雨宮さん達のプロジェクトを通してみると、やはりあまりに狭い考えなのではないかと思えてきた。

古代人達は、我々原始人の想像を遥かに越える技能、技術、技、能力、認識を持っていそうなのだ。

これは船の製作だけでもそうだが航海自体からもうかがえる。

「クルー達は、現代のコンパスやGPSなどは使用しない。陸・太陽・月・星・風・波・雲・鳥といった、自然界のありとあらゆるものから情報を読み取って進路を決める古代航海術を使う」


いきものとしての能力。


自然環境に適応する能力は、その時代によっても変化するのだろう。

今の人類にはできないけど、過去の人類にできたことというのが確かにある。


ヒトって、、、なんて面白いんだ。


安直な感想だが、そんな気持ちでいっぱいにさせてくれた。


そしてこのとき、私は「ちょっと面白い仮説」を思いついた。


ヒト以外の「いきもの」に、力を借りていた可能性はないか?と思ったのだ。


三万年前の航路徹底再現プロジェクトでは、各分野の有識者、実践者が集められ検討、計画、実行がなされたのだが、、いずれも「ヒト」の力だ。

丸木舟での航海は無事に成功。

5名のクルーで45時間、225kmを一度の転覆もなくゴールしたという。

確かに想像を絶する能力、努力、気力があっただろう。


ただ、私は縄文人などの古代人に想いを馳せるときに、ヒト以外のいきものに彼らがどう接していたのか、常々気になっていた。


外洋航海の実験の際にも、漕ぎ手は、自然の観察によって航路を得たという。


時は旧石器時代。

自然に目を向ければ恐らく現代より遥かに豊かな自然に溢れていたのではないかと想像される。


他のいきものとのコミュニケーションはどの程度出来ていたのか?

もし、外洋航海をともに行ってくれるいきものが存在していたとして、、彼ら(都合上彼らと呼ばせてもらう)と協力して泳げたとしたら、、、協力しない手はないのではないか?


もしかしたら、草船や、筏船でも外洋航海できてしまっていたのではないだろうか?

だから、旧石器時代の丸木舟の出土が無いのではなかろうか、、?


少々ぶっ飛んでいる仮説かもしれないが、、、あながち無理でもない気もするのだ。



なぜなら、ヒトは時代によってその能力を変えてきているからだ。

丸木舟を用いずとも別の能力で長距離外洋航海を成立させていた可能性は否定できないと思う。


そして、実はそんな仮説をちょっと本気で考えてしまう事例があるのだが、それは次回に紹介し、もう少しヒトをいきものとして考えてみようと思う。



おわり


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