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スピリチュアルの危険性を考えてみた。




1.スピリチュアルブームとオウム真理教


近年、若者の間でにわかにスピリチュアルが流行しているようです。

古来から人間は、精神世界に救いを求めてきたので、最近どうのこうのという話じゃないのかもしれませんが。



2.オウムが残した傷跡


オウム事件を知らない人が増えてきました。

かくいう私も、当時はまだ生きていなかったので、当時の空気感は知らない訳ですが。

オウム事件は日本のスピリチュアリズムを焼け野原にしました。

宗教やスピリチュアルと聞いただけで、拒否反応を起こす人が多いです。

お盆はご先祖様をお迎えする、正月は初詣に行くなど、日本人は宗教的な行為をしているにも関わらずです。

オウムは現代人を物質主義に傾倒させた要因の一つだと思います。

しかし、一方でオウムを知らない世代はスピリチュアリズムに寛容な人も多いです。


良し悪しがあるので、個人的にはそういったものとは、適切な距離を取ることが一番良いと思っています。



3.覚者と信者


なぜ、真理の探求を第一とせず、「適切な距離を取った方が良い」というかと言うと、そこにはいくつかの落とし穴があるからです。


まず、「その指導者は本物かどうか」と言う点です。


本物だと思って信奉していたら、いつの間にかテロリストに加担していた、となってからではもう遅いのです。

麻原彰晃のように、「自分を本物だと思い込んでいる狂人」の可能性は十分にあります。


麻原はおそらく、「自分が正しい」ということを、誰よりも信じていた信者だったのだと思います。


人間はいかなることであろうと信じることができるので、この構図は成り立つのです。



4.保守思想の根幹


指導者が本物の覚者であっても、まだ危険はあります。

新興宗教の場合、体制が確立されていないため、いつの間にか誤った道に進むことも十分あり得ます。


保守思想の根底には、「人間が頭で考えたことは必ず間違えるので、伝統を守ろうよ」という文脈があります。


伝統的な教団は、世俗の社会と上手く付き合ってきた歴史があるので、伝統が長いほど道を踏み外さない可能性が高いです。

しかし、階級制度のようなものがある教団は、政治的なイデオロギーになっているかもしれません。

どうしても入信したいのならば、伝統教団が無難だと個人的には思います。



5.神秘体験を引き起こすことは可能


瞑想をしていると、光の幻覚が見えたり、突然の多幸感が訪れたりすることがあります。

オウムの場合、LSDを使って、無理やり幻覚を見せ、神秘体験を与えていたようです。

ドラッグを使ったり、教祖の言う通りに瞑想をしたりすれば、幻覚を見たり、浮遊感を味わうといった神秘体験は可能です。

それはテクニックの問題であり、神秘現象を引き起こす人は、神や覚者とは限らないのです。


人間は手順を踏めば、神秘体験を引き起こすことは容易です。



6.前提条件の重要性


前々回のnoteで、「すべては宗教だ」といった趣旨のことを書きました。

しかし、それが必ずしも悪い訳ではありません。


なぜなら、いかなる前提条件も取っ払った自然状態は、カオスだからです。


最低限人間として、「殺人は悪だよね」といった前提条件が成り立たないと、秩序が崩壊します。


最低限の規則があるからこそ、自由が成り立つのです。


仏教でも、まずはじめに「戒(戒律)」を抑えます。


これを守らずに前提条件を取っ払うと、オウム事件のような悲惨なことになりかねないのです。


したがって、「これまでの私の世界」を崩壊させるような、宗教的な行為を行うには、伝統的な規則がある教団の方が望ましいのです。



7.まとめ


危険性⑴ 指導者が偽物(狂信者)の可能性がある。

危険性⑵ 教え(教団)の基盤がしっかりしていないと、どこに進むか分からない。

危険性⑶ ありふれた神秘体験を、特別なことだと絶対視してしまう危険性。

危険性⑷ 最低限必要な倫理観すらも取っ払ってしまう危険性。


結論 

革新派はどの分野でも危なっかしい。もし仮に入信のするなら、伝統ある既成教団が無難。



(私は用心深いので、まずは全部疑って自分で調べて正しそうな情報を「正しそうだなぁ〜」と思ってそこで立ち止まります。何事も深入りしたら、そこの常識を信仰してしまうので。)



今回の内容に関連した推薦図書です。



ちなみに私はいかなる宗教団体とも関わりを持っておらず、今後もそのようなことはないと思います。




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