【後編】自分の中のアンコンシャス・バイアスに気づいた話
さてこちらの文章の違和感の正体、わかりましたでしょうか?
詳しくは前編をご覧ください⇩
女性初のIBMのCEOになったジニー・ロメッティの言葉です。
そして指摘を受けて、修正した原稿がこちら。実際に出版されている本では、このようになっています。
こうやって並べると違いがわかると思います。元々の原稿では、一部の女性のリーダーの言葉遣いが、「〜だわ」「〜よ」のような「女性ことば」になっていたのです。
なぜ翻訳されると不自然な言葉遣いになるのか
浜田さんから、最初の原稿をお渡しした際に以下のようなお返事をいただきました。一部抜粋します。
「今メディアの世界では、女性の言葉をこうしたあえて『だわよ』のような表現を使う事自体がジェンダーに対する偏見を植え付けると指摘されています。特に彼女たちのようなCEOがこういう言葉を使うと、正直とっても雑で蓮っ葉な印象を受けます。そんな言葉はリーダーになる女性は使わないのでは?と思います。」
このメールで初めて気づいた私は、「ガーン」という音が脳に鳴り響くほどショックでした。なぜなら自分自身、映像などでことさら女言葉に訳された字幕などをみて疑問をもったことがあったのです。それなのに、いざ自分が担当するものになると全く気づかなかったことがショックでした。
そして、実際に日本の女性の経営者や芸能人などのインタビュー記事をいくつか検索してみました。当たり前ですが、ほとんどの方が「です」「ます」という口調で話されていました。
訳者の高橋さんにも、どのような意図で語尾の口調を決められたのか伺うと、「人物の口調をばらけさせるために、比較的親しみやすそうな、あるいは率直な人柄だと思われるような、あるいは自身がそう感じた人物の言い方を、砕けた表現として女性言葉にしたという判断」だったそうです。
そして、今回、浜田さんに教えていただいたことを翻訳者さんにも共有し、すべて「です」「ます」などの語尾に変更しようという結論になりました。
自分で気づけないならどうするか
この件で、いくつか私が感じたことです。
・自分では気をつけているつもりでも、自分が作っているものに関して、気づけないことがある。
・自分ではそのつもりがない中で、人から「偏見がある」と指摘されると、ショックを受ける。
今回、翻訳者の高橋さんが、このような指摘を共有しても、怒ることなく、一緒に考えてくださったのがとてもありがたかったです。私が浜田さんから教えていただいた際にショックを受けたように、私からこのようなことを聞いて高橋さんもおそらくショックを受けられたと思います。
Twitterでジェンダーや人権に関する問題で指摘をされた側が逆ギレして炎上するケースがよくありますが、自分が体験してみて「ショックをうけとめきれずにキレてしまうのかな」と思いました(でも逆ギレは良くない)。翻訳者さんが、このショックを受け止めて、一緒に考えて下さったことが本当にありがたかったです。
アンコンシャス・バイアスは、その名の通り無意識のものなので自分で気づくことは難しいと思います。だからこそ、人に指摘して教えてもらわないといけない。今回、浜田さんには早い段階で教えて頂け、またそれに呆れることなく引き続き解説も引き受けていただけ、とてもありがたかったです。
そうしてできた本がこちらです⇩
私はこの本に出てくる人たちのインタビューの言葉で本当に勇気が出ました。
天才は前例がなくても道を切り開くことができるかもしれないけれど、普通の人は前例を見て初めて、「こういう道を目指してみたい」って思えるのではないでしょうか。
この本を読んだ人が、「自分ももっとできることあるかも」と自分の力に気づいてくれたら嬉しいです。
今回の件、間違ったことをしてしまうのが自分なのだなと、当たり前のことをしみじみ感じました。日々アップデートと言われ、職業柄もあって気をつけてはいるけれど、たぶんこれからもたくさん間違えるだろうし、今までしてきたことで「正しくないこと」もたくさんあるように思います。そして間違えだらけの自分で生きていくのがたまに怖くなります。でも最近、西加奈子さんのポッドキャストですごくささった回がありました。間違えた経験も自分のものとして、生きていこうと思いました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?