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動きのない日々の中で嬉しかったこと

リモートワーク2日目。

NHKの朝の天気予報によると、1週間ぶりの快晴らしい。今の家は浴室乾燥機はないがわりとひろい庭がある。洗濯物を外で干せると幸福度が上がる。前からその傾向があったが、これから家にいる生活の中ではより天気に気持ちが左右されそう。窓が大きくて庭がある家に住んでいるのはラッキーだった。あと10日くらいで引っ越すけど、次のお家も窓が大きくてベランダが広いからそれは嬉しい。

noteをかく時間も増えたが、これ以外に手書きの日記を書くようになった。人と話すこと(目的のない会話)、行動範囲が極端に減ると、何かを体からアウトプットしたくなるようで思ったことを書かずにはいられない気持ちだ。何かを書いて自分の気持ちの形を確認するなど、この先行きが見えない中を平穏に暮らすための工夫が必要だと思う。

行動が減る分、自分の気持ちの小さな変化に敏感になる。多分今までの忙しい生活では小さな心の変化に気づいても一瞬で忘れ去ってくるくると動き回っていたと思う。「今、風で揺れているカーテンが動いていて影が動くのが綺麗だな」とか、そういう小さいことで心が動いていることに気づく。これは良い変化かもしれない。

NHKの朝ドラ「エール」を見ていても、主人公が祖父母の家までお出かけしているシーンでは、「外に出かけているのいいな」という気持ちがまず浮かんでくる。ストーリーを追うよりもまず先にそう思ってしまう。外出できたころが恋しくてたまらない。この生活に慣れるまでは、そうやって何を見てもまず、「外出いいな・・・」「人と集まるのいいな・・・」と思ってしまう気がする。

今年の頭に『ジョジョ・ラビット』という映画を見た。ナチス時代のドイツが舞台で、家の物置で隠れて暮らす女の子が出てくる。あの映画を見たときは、その女の子の気持ちがわかった気になっていたが全然わかっていなかった。隠れていて、生きているだけマシだと思っていたけれど、ずっと隠れて生きることは辛い。もしかしたら死ぬことと同じくらい辛い。もちろんナチス時代に隠れて暮らすことに比べたら今の外出自粛生活なんて楽園みたいなものだけど、あの映画を見たときよりも今の方が、あのユダヤ人の女の子の気持ちに近づけた気がする。

そういえば友達がとても嬉しいことを教えてくれた。生まれつきのミーハーである私はテラスハウスが大好きなのだけど、なんとこの本編以外のアナザーハウスでモデルの志遠君が私が編集した『もしも一年後、この世にいないとしたら。』を読んでくれていた。こんな若い人がこれを手にとって読んでくれたなんて感激すぎる。そしていつも見ているテラハに自分が担当した本が映るという不思議・・・!

しかも、「時間を大切にしようと思って」と言ってくれたのがとても嬉しい。こういう思わぬ形で自分が作ったものが誰かのところに届いているのを見るのは、編集者冥利に尽きるの一言。

こんなに家にいることは人生で初めてかもしれない。この初めての事態をどう過ごすが小さな試行錯誤と実験を日々していきたいね。


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