『不思議』 星野源
不思議 星野源
君と出会った この水の中で
手を繋いだら 息をしていた
ただそう思った
彷徨う心で 額合わせ
口づけした 正座のまま
ただそっと笑った
希望あふれた この檻の中で
理由もない 恋がそこにあるまま
ただ貴方だった
幼い頃の記憶 今夜食べたいもの
なにもかもが違う
なのになぜ側に居たいの
他人だけにあるもの
”好き”を持った日々を ありのままで
文字にできるなら 気が済むのにな
まだ やだ 遠く 脆い
愛に足る想い
瞳にいま 宿り出す
きらきらはしゃぐ この地獄の中で
仕様のない身体 抱き締め合った
赤子に戻って
躓いて笑う日も 涙の乾杯も
命込めて目指す
やがて同じ場所で眠る
他人だけの不思議を
”好き”を持ったことで 仮の笑みで
日々を踏みしめて 歩けるようにさ
孤独の側にある
勇気に足るもの
遺らぬ言葉の中に
こぼれる記憶の中に
僕らはいつも居た
”好き”を持った日々を ありのままで
文字にできるなら 気が済むのにな
まだ やだ 遠く 脆い
愛に似た強い
君想った日々を すべて
乗せて届くように詰め込んだ歌
孤独の側にいる
愛に足る想い足る想い
二人をいま 歩き出す
「これは手紙ではありません。誰かに宛てて書いた文章をその人に読んでもらうことが基本的な手紙の役割だとしたら、それが果たされないわけですから。しかし私は少しも寂しくはありません。なぜなら、私は頭の中に思い浮かぶ言葉や感情をそのまま書くことができるからです。
もしこれが誰かに読まれる、もしくは万が一にも君の手に渡る可能性があろうものなら、純粋性はすっかりと失われ、その代わりに幾らかの装飾を帯びた既製品になってしまうでしょう。他人に見られることを意識した瞬間、もしくはその可能性を受け入れた途端、言葉や文章は「表現」になってしまうからです。
と書いておきながらも、こうして敬語を使っている時点で君に読まれることを心のどこかで期待しているのかもしれません。
自分でも自分のことがよくわかりません。こんな文章、絶対に見られたくないと思いながらも、この原稿用紙から顔をあげた近眼の君が、いつも少しだけ尖らせていた口先をどんな形にするかを想像してしまうからです。何かを堪えるようにシュッと引っ込めてしまうでしょうか。それとも、より一層ツンとさせるでしょうか。
ここまでは思ったことをつらつらと書いてはいますが、一番求められていることを書いていませんね。求められてる、とは誰かや環境にではなく、私自身が一番書くべきだろうと思っているということなんですけど。
でも無理に書く必要はないですよね。私たちは直接的な表現で満足する性格でもないですし、むしろ婉曲的な気遣いや日常の言葉の端々(はしばし)に忍び込ませることが好きなタイプですものね。
いや、やっぱちょっと待って。私の場合は少し違うかもしれません。遠回しを好むというより、直接的な表現を陳腐だと思っているからでしょうか。使い古された「お手軽感情表現スターターパック」のような言葉は君には贈りたくなかったというか。私の気持ちはもちろんですが、それが散りばめられていた日常を上手に言語化できたなら、それがベストなんですけど、さっきも書いたようにどうしても君へのベクトルが働くと「表現」となってしまって、それってありのままではないからなんか違う気がして。
だからここらでやめておきます。そもそも、今更かしこまって君に伝えたいことなんて何もないような気がしてきました。
締めが思いつかないので敬具とだけ書いておきます。
敬具」