なりたいあなた、なれないわたし
現在、モラトリアム延長中の私。
そんな悠長なことを言っている場合でもないのだけれど、せっかくできたこの貴重な時間。当初は有意義に使おうと心に決めたはずだったのだが。。私の中の予定では、何かを勉強したり、練習したりして身につけていたはずだった。
どこで間違ったのか、まだ何もできていない気がする。まあ、答えは簡単にわかるのだけれど、ここでは触れずにおく。
何もできなかったわけではない。結婚式の準備はなんとか進みつつある。さらに、今まで”「面白そう!」と思ったこと全部に挑戦しよう”と私の心の中でひそかにモットーにしていたのだけれど全くできていなかったのだが、引っ越しによる心境の変化か、オンラインコミュニティに参加することができ、世界が広がった。
そこには私とは全く違った仕事をしていたり、働き方をしている人たちがたくさんいた。知らない世界・価値観に触れて、彼ら彼女らがまぶしく輝いて見えた。まるで理想の国からやってきてくれたメシアのように。
あの人たちみたいになりたい。
そう思って私もネットで情報収集したり独学で勉強してみた。このnoteもその一環だったりする。
しかし、これは本当に私の目指すべき方向なのだろうか。
こうして文章を綴っても私には彼らのような文章を書くことはできない。
まあ、まだ始めて数週間なので、「そんな甘ったれたことなんて言ってないでとりあえず本気でやってみろよ。」「ちょっとかじった程度で何を知った風な口をきいているんだ。」そう自分にいらだったりもする。今私が憧れた人たちはもっと苦しみながらもそんな壁を乗り越えてきたはずなのだ。
そう思いながらも、彼らが頑張れた理由を聞くと「本当に自分が好きなことを考えると〇〇(それぞれのものが入る)だった。だから頑張れた」と言う。果たして私にはそれがあるのだろうか。彼らのようになりたいからといって、同じものを同じように原動力にできるほど想うことができるだろうか。
ふと、”違うかもしれない”そう思った。
確かに私は彼らのような生き方に強く憧れ、あんな存在になりたい、そう思っている。しかし、私が一括りにしている”彼ら”もそれぞれに対象や想い、考えは異なっているはずなのだ。
にもかかわらず、自分の心の中を真剣に見ようとせず、安直にすでに目の前に形をもって存在する完成形を目指そうとした私は、そりゃあどこかでガタが来るのだろう。
私は自分で自分がわからない。まあ、本当の意味で自分のことを自分で理解できていると思うことはできない、というのが私の考えではあるのだが。
私がわからないと言ったのは、自分が何が一番好きなのか、どうなりたいのか、ということだ。
つい先日も”好きな本”を紹介しあう機会があったが、私は己にとっての”好き”さえ上手くわからなかった。また、好きな食べ物を聞かれるのも非常に困る。多少嫌いなものはあるが「これが好き!」がない。
つくづく、私は自分のことすら見えていないのだな、とうんざりするよりも悲しくさえ思う。食べ物においても何かすることにおいても、大抵のことは私にとって「好きか嫌いかなら、大好きではないけれど、嫌いでないから、まあ、、好き」となる。この中から私といえば「これ!」というものを見つけなくてはならない。そのためにはとりあえず挑戦し続けることが不可欠なのである。
そして、別にそれは一つではなくてもいいのだと気づいた。いくつかでもいいし、何なら全部でもいいとさえ思う。要はテキトーにしてしまうのではなくそれぞれと全力で向かい合えばいいのではないだろうか。
その中で自分の中での優先順位というものができてくるだろう。そうして、無理やり誰かの「なりたいわたし」を目指すのではなく、自分の中で「なりたいわたし」を見つけていきたい。
それでは。Have a nice day.
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