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『春と私の小さな宇宙』 その58

※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
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伊藤の訃報を聞いたハルはすぐに教授室に向かった。死んだのが伊藤。それがハルには気になった。

アキの話では深夜、教授室で伊藤が死んでいるのを巡回していた警備員が発見した。
その少し前、犯人と思しき人物が構内を出て行ったのを見たという。

ハルにはその人物が誰かわかっていた。宮野である。渡しておいた毒入りの注射器を使ったのだ。勿論、逆の結果も有り得た。

伊藤にも同じ注射器を渡してある。ハルからすれば、どっちが死んでもよかったのだ。どうせもう一人も、その後に死ぬことになるのだから。

だから気になった。死んだのが伊藤だけだった。あの夜、ハルは最後の仕掛けをした。

その日の夜は凍えるほど寒かった。雪まで降り出していた。階段に水をかければすぐ凍るだろう。もしも、そんな状態の非常階段を降りようとすれば……。

ハルは思考を巡らせる。
当然、非常階段を使うとは限らない。確かに建物内の階段で逃走する可能性もあり得た。

だが、使うのは「行き」くらいだ。寒い外からすぐに温かい建物に入りたいのは人の心情として極々自然である。寒い外の階段を上ってから建物に入るより、建物に入ってから温かい内部の階段をゆっくり上る方が断然いい。

「帰り」はその必要がないため、非常階段を使う可能性は高かった。だから「行き」で滑って転ぶ展開はほぼないと言っていい。

事実、二人は中の階段を使って教授室に入ったようだ。東側には駐輪場がある。自転車に乗ってくる宮野ならすぐ近くの非常階段を使うだろう。

殺人を終えた後ならばなおさらだ。一刻も早く現場から離れたいはず。たとえ警備員に見つからなくても、そこを通る見込みは十分ある。

伊藤が生き残った場合。彼の体型は素早く動くのに適していない。宮野を殺したら、できるだけ最短距離で逃げたいはずだ。伊藤は近道として普段から非常階段をしばしば利用していた。「帰り」に使ってもおかしくない。

全て、ハルの読み通りに事が進むはずだった。

しかし、宮野は昨日の夜から消息不明であった。家には帰っていないらしい。伊藤を殺した後、非常階段を使ったのなら、無事では済まないはず。

警備員は、構内を出た人物が足を引きずっているのを目撃したという。その前に何かが階段から落ちる音も聞いたというのだ。

仕掛けにかかったのは間違いなかった。大けがをしたはずだ。ならば、その宮野はどこに消えた? ハルは宮野の消息を検証することにした。

進路を変え、自転車置き場へ向かった。多くの学生が自転車を止めていた。その中に宮野の自転車が残されていた。宮野がいつも使っている自転車をハルは記憶していたため、見つけるのは比較的、容易だった。

ハルは疑問に思った。宮野は徒歩で現場から逃走したことになる。けがで自転車が漕げず、歩いて逃げた。ここまではいい。ただ腑に落ちないのは、なぜ誰にも捕まらず逃げ切れたのか。

伊藤の死体を発見した警備員はすぐ、警察に連絡していたはずだ。その隙に構内を出たのだろう。ならば、どこに行った? 普通なら病院に行くはずだ。だが、消息不明ということは病院にも行っていない。いくら深夜とはいえ、ほかに目撃証言は無かったのだろうか。

階段から落ちた人間が機敏に動けるとは到底思えない。バスでの移動は不可能。あの
時間にバスは通らない。

その上、最終便には自身が乗っていた。はたして深手を負った身体で、誰かの助けも無しに、凍える冬の夜の間、身を隠せる場所があるのか甚だ疑問である。

ハルは歩調を速めた。
教授室に着くと、多くの捜査員が現場を調査していた。忘れ物を取りに来たと捜査員に説明したが、現場保存のため返してもらえなかった。

大学は騒然としていた。パトカーが次々に訪れ、刑事が周辺の学生に聞き込みをしている。アキも受け答えていた。ハルは面倒事を避ける為、すぐに家へ帰ることにした。

残されたバッグのことが頭によぎり、警察に余計な詮索をされたくなかったのだ。伊藤の生徒である自分に疑いを向けるのは、ごく自然の流れである。

そんな考えをしている間に、ちょうどバスが来た。


続く…


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