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校則を無理やり正当化してみる(動物行動学と校則)


校則の非合理性が指摘されることが多くなった気がします。僕のいた学校はおおむね落ち着いていたので、校則違反が取り沙汰されることも少なかったですし、いわゆる「理不尽校則」の類もあまりなかったと思います。でもよく覚えてないんですよね。

というのが、何より僕自身が校則に無関心だったのです。別に無視しているというわけではなく、わざわざ特段の動機もなく校則違反することに興味がなかった。ですから、服装とかは何もいじりません。ただ、白状すると本当に校則に無関心だったため、今考えると何回か違反していたと思われます。自慢ですが、クラスで結構可愛い子と夜遅く22時くらいまで花火大会で遊んでたりしてました。ふふん。

それはさておき、校則というものが常に非合理で理不尽であるというのは偏見だろうと思います。中にはなかなかいい校則もあるわけです。ただ、こう言っては悪いですが、学校の先生自身、校則の大切さとか合理性、特に「なぜ禁止あるいは強制するのか」という点をきちんと認識せず、生徒に押し付けている節があります。これはいただけません。生徒に強制するにしても、「なぜ」なのかを認識するべきです。校則成立における背景を考えれば、生徒を説得できることもあるでしょうし、また生徒個人の実態に応じた例外も設けやすいと思います。

学校に対して、生徒や保護者が校則の意義・意味を問いただすと、大抵でてくるのが「学生らしい身なりが望ましいから」「服装にこだわると学業に集中できないから」といった文言です。これは答えになっていません。学生らしい身なりというのは定義が任意で「学生らしさとは何か」「なぜ学生らしくあるべきなのか」という新たな疑問が生まれるだけです。服装にこだわると学業に集中できないから、というのは根拠不十分です。もっと動物行動学や群集生態学や犯罪心理学的に踏み込んで回答するべきです。

また、学校の先生は校則の適用における特別扱いを面倒くさがる先生もいますが、理由があるならやはり例外を認めるべき案件もあります。そしてもはや理不尽といえるようにまでなったなら、校則廃止も検討すべきと思います。一方で、学校にある程度しつけを求めているのに、しかも体罰もダメな時代に、校則すらも全部自由にしろと主張するのは難しすぎると思います。

このあたりは学校運営と生徒自身の綱引きという側面もあるので、教師も生徒も一度校則の意義を考えて、その上で議論していくのが正当だと思います。むしろ、こういった話に論理的に噛み付いてくる生徒はそれだけ賢いということであり、子ども扱いせず、しっかり人間として対等に議論するべきでしょう。それこそが生徒の人間としての成長にも繋がるのだと思います。

僕はこのあたり、校則そのものを書いた生徒手帳以外に、「校則由来・意義疑義縁起」みたいな感じで詳細資料を作っておけばいいと思っています。校則が目的としていること、校則が適用されるべきか怪しいと思われる場面(つまり例外条件)、どのような事案によって生まれたのかなど、校則が議論の対象になったときに一次資料として使うものです。判例があっても良い(笑)。校則に疑問を呈するくらい賢い生徒なら、まずは資料を渡して、「校則はこういう意図で作られている。これを読んで、それでも疑問があるならいつでも来なさい」といったスタンスで議論すればいいのだと思います。先生だって、一々校則の意図まで把握するのは大変でしょうし、正直一部の体育会系の先生はこのあたり苦手そうです。基本資料があれば、これを元に国語の授業もできるでしょうし、僕はあるといいな、と思うんですが。

それともうひとつ。学校は学校で大変なんですよ。今は「ブラック校則反対!」がトレンドになっていますが、一気に緩めると今度は別の保護者から「もっと厳しくして!」「躾は学校でやって!」と来るわけです。どちらにも対応するためにも、やはり根拠をはっきりさせておくべきと考えます。

前置きが長くなりましたが、それでは、校則の目的別に校則を守ることでどんなメリットを期待しているか僕の考えを説明していきます。あくまで僕の考えなので、もっといい考えがあれば教えてください。お宅の学校で「校則由来・意義疑義縁起」を作る際の参考になればと思います。

問題外

校則の意味について書く前に、どう考えても根拠が希薄、あるいは根拠自体がセクハラレベルの以下の校則は問題外です。というか、人の下着にまで口を出すのはどうかしてますね。外部の人間は見る機会がないでしょ。

・下着の色、デザイン規定 → 都市伝説であってほしい
・体操着の下に肌着を着用することを禁止 → つけたほうがいいです
・髪型は丸刈り → メリットなし。髪は頭部を怪我から守っています
・ポニーテール禁止 → きわめて一般的な髪型です
・地毛が茶色でも黒髪に染める → 現代では茶色は珍しくありません
・整髪料の使用禁止 → 現代では高級品ではありません。匂い等の規定はあっても良いかもしれませんが
・ドライヤー禁止 → むやみやたらと持ち込むものでもありませんが、くせっ毛の生徒はドライヤーがないと大変です
・運動中の水飲み禁止 → 水を飲まないと死にます
・シャープペンシルの使用禁止 → 中学校以上では意義を見出せません
・マフラーの使用禁止 → 耐寒能力には個人差があります。喉を守るにはマフラーは必要です

犯罪抑止

多くの校則は犯罪抑止、特に生徒が犯罪やトラブルに巻き込まれないことを目的としています。具体的には、

・学校では制服着用すること
・制服着用の際の襟、スカート丈など着こなしの規定
・校外でも制服を着るべし

にはある程度の意義を見出せます。ただし、捉えようによっては厳しすぎると感じる人もいるので、地域性や学校の雰囲気なども加味して話し合って欲しいと思います。

まず、制服を着ることで得られるのは権威化です。これは、「○○高校の生徒である」という権威、属性を表す効果です。動物行動学でこれは「自分が属する群れの社会性」の提示と言い換えることができます。どういう効果があるかといえば、誘拐や性犯罪の被害者としてターゲットにされにくいというものです。

ちょっと犯罪者視点になってみましょう。あなたは、色々な目的(性的、金銭的、うっぷん晴らし)で自分より弱い未成年を一人、誘拐しようと画策しています。そのとき、メリットは「弱い人間を獲物として手に入れる」ことですが、デメリットは「犯罪者として捕まる」ことです。デメリットはなるべく低く抑えたい。その場合、狩りやすそうな相手に片っ端から声をかけることは得策ではありません。下手をすればそれだけで不審者通報されます。となると、見た目である程度目星をつけるのが有効。このとき、犯罪者は次のような情報を推測しています。

・制服を着てない → 学校組織に属していないかも
・服装が汚れている → 家庭環境も悪いかも

誘拐等を行った場合、証拠を残さなくても家族が通報すれば発覚します。家族が通報しなくても、登校しなければ学校が事件化します。多くの人は自覚していませんが、犯罪者にとって学校はそれなりに怖いのです。学校は公的機関であり、恐らくは家族の次に生徒に密接に関わっており、早ければ一日で異変に気付く組織です。

実際、ネパールなどで少女誘拐の犯罪組織がターゲットにするのは以下の特徴を持つ少女だそうです。

・両親の不仲
・継母との折り合いが悪い
・父親の暴力
・その他家庭内トラブル

出典:少女売買 インドに売られたネパールの少女たち、P62  長谷川まり子著

こういった少女は、誘拐しても両親が通報しない可能性が高いのです。もちろん学校などありませんから、両親が通報しなければ事件化しません。

制服を着ているということはつまり、「私は○○高校に属しており、私を高校に通わせる保護者がおり、何かあれば保護者と学校が黙ってはいない」というPRになるわけです。制服そのものに執着する犯人もいるのでデメリットは勿論ありますが、制服を着ているということは、未成年をターゲットにしようとする犯人にとって面倒そのものであることは間違いないと思います。

より詳しく理論を知りたい方は、「最適採餌理論」で調べてみると理解が深まります。「犯罪とターゲット見極め」の、採餌行動との類似性が見えてきます。

目立つことはそれ自体がリスク

このほか、襲われる側としては目立つこと自体がデメリットであるという考え方もできます。草食動物であるレイヨウは、捕食者に襲われたとき飛び跳ねるように逃げますが、しつこい捕食者につけねらわれる時には別の戦略をとります。それは、目立たないことです。レイヨウ類の中でもインパラが特に顕著ですが、純血種はどれも複雑な模様が少なく、各個体が良く似ています。まるで制服でも着ているかのように。

彼らレイヨウ類は瞬発力はチーターについで高いものの、いずれも持久力に乏しく、数匹の捕食者に断続的に襲われるとスタミナ切れしてしまいます。そこで、彼らは一定時間付け狙われると、意識的に群れの中に飛び込み、仲間と入れ替わります。さっきまで追っていた個体がどれなのかわからない場合、群れの数だけ襲うことは難しくなります。

人は大観衆の中で目立つことに慣れていないと、目立つこと自体に恐怖を感じますが、これは群れから逸脱してしまっている状態に対する本能的な恐怖といえます。没個性化というと悪い印象をもたれがちですが、見た目で目立つことには、目をつけられやすいというわかりやすいリスクが伴うのです。

おしゃれは一定ラインを引かないと止まらない

おしゃれしたいというのはわかりますが、おしゃれは競争になってしまうと歯止めが利きません。おしゃれというものには客観的評価も到達目標も存在しない一種の無形文化です。これに競争原理が加わると、「赤の女王仮説」で説明されるように相手に勝つためにより過激化していきます。

特に思春期というのは自身の価値を模索する時期であり、ここで際限のないおしゃれ競争が勃発すると、学業どころではなくなります。1990年代から2000年ごろまで存在したいわゆるガングロヤマンバギャルといった過激なファッションも、果てしない競争の果てに生まれたといえます。

自由を制限するのはもちろん好ましいものではありませんが、行き過ぎる前にストップをかけるのも学校に求められていることであります。学生らしい身なりというものを定義したいなら、このあたりを踏まえて議論するべきであろうと思います。

同じ服装は帰属意識と仲間意識を高める

先に指摘しておくと、この話は裏を返せば自分と違う見た目を排除する傾向を助長しかねないので、見た目が違うものをいじめてしまう心理については倫理や社会の時間にしっかり学習しても良いような気がします。

一般的に、服装が同じであることは心理学における「帰属意識」を育てることにつながり、学校活動をスムースに行う助けになります。また、学校から職業体験に行ったり就職活動をする際には、生徒が帰属意識を持っているかどうかが大きく影響します。一人の生徒が出先で失礼かまして以降出禁になるのは、個人の問題ではすみません。先輩のやらかしは後々に後輩たち全員に迷惑をかけることになりますが、「学校に対する一種の愛着」がなければ注意も難しいでしょう。

また、心理学における「ミラーリング」効果も期待できます。ミラーリングとは、相手の行動や発言をさりげなく真似ることで好意に繋がる現象です。同じ制服を着た相手に対しても、「同じ生徒である」という心理が働き、攻撃性が抑制されます。校内でのトラブル減少に繋がる効果です。

特定の道を通ってはいけない

特定の道を通ってはいけない系の校則もあるようです。これは学校ごとに異なりますが、理由を明記できない場合もあり、いつの間にか形骸化しているものや、理由を知れば納得できるものも存在します。

・反社会組織の事務所があるため危ない道
・ずっと昔に変質者が住んでいたが、名指しを避けて道だけ通行禁止にした(今はいない場合もある)
・見通しが悪く、性犯罪やカツあげにあう可能性がある道
・大型ダンプの出入り口と急な坂道が交差しており、どうしても危ない道

特に、地域の特定の問題人物ゆえに通行禁止にしている場合、まさか「○○さんが股間を露出していることがあるから通行禁止」などとは書けません。かえって興味を持つ生徒もいますし、文言を外部の人間にみられたら別の問題に発展します。

本当に理由を説明してはいけない校則もある

最後に、理由を説明できない校則もあるというのを理解して欲しいと思います。特に小学校。小学生はまだまだ自制心も薄く、やっちゃダメといわれても我慢できません。ここまで記事を読んだあなたは自制心があると思うので、大雑把に説明しますと、シャーペンの芯とコンセントは相性が最悪です。しかも、小学生に理由を説明すると何人かは我慢できません。死にはしません(シャーペンの芯が燃え尽きるので)が、大怪我に繋がりますし、コンセントはお釈迦です。

以上、校則の是非についてまとめました。これらの他に面白い解釈、珍校則だけど理由があるというのがあれば、コメント欄で教えていただければ喜びます。


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