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私が不登校になってしまったきっかけ、中学生時代 ①

私はADHDの元不登校児 
高卒の現在23になるフリーターのおてんば娘です。

そんな私が今年から沖縄に、フリースクールを立ち上げました。

不登校の子たちや、障害を持った子達、私と同じような境遇の子たちを対象とした
学校では絶対に教わらない、教えられない事を私が教えたいと思い、今回フリースクールを立ち上げました
私も不登校や発達障害に悩み、苦しみ生きてきました。そんな私だからこそ
その子たちの個性を受け入れ、私のフリースクールでその素敵な個性を伸ばしていき、不登校という劣等感や、障害という壁を私と一緒に乗り越えようというコンセプトでやっていきたいと思っております。

私のフリースクールでは勉強が主体ではなく、子供たちのやりたいことをさせ、子供たちが心地よくいれる居場所を提供します。学校の先生や、親でも、理解できない子達は沢山います。
ですが周りに理解されない本人が周りと違うことで1番苦しんでいるはず
学校に行けない理由も障害を持つ苦しみも私ならその子たちと同じ考え方で生きてきたので、全て理解できます。そして、無理に学校なんか行かなくても私のように楽しく生きていけるということを私がこのブログでお伝えしたいと思います。

このブログを読んで私のフリースクールに行きたいと思ってくれた方は良ければコメントをください。

まず、そんな私が一体どんな人生を歩んで来たのかを私のことを皆様に知って頂きたいので、今回からブログでご紹介して行きます。

今回は私が中学生時代、不登校になってしまった話をしたいと思う。

私が不登校になった理由

結論から言うと、いじめだった。

原因はそう、私の体型。

私は小学生の頃から太っていた。

小学校1年生までは痩せていたのだが
2年生の夏休みにたくさん食べすぎてしまい私は、みるみる太っていった。

でも、私はあまり自分の体型を客観視出来なくて、全く痩せたいとは思わなかった。

私は元々、人の目を気にしない性格だったので、
小学生の頃は、同級生の男子や下級生の男子達にデブデブと罵られても、私は怒るふりをするくらいで本気で気にしてはいなかった。

それから、私が怒らないのをいいことに毎日のように私をバカにしてきたり、暴言とかも吐かれたけど、ただの遊びの延長だろうとしか、考えてなかったためか怒りの沸点が高い私にはあまり通用しなかった。

そのため、ダイエットもせず、
小学生時代は太ったまま、残りの5年間を過ごした。

ここで小学生時代の話は一旦終わり。また後々話します。

そして、私はそのまま中学生に上がる

ついに迎えた入学式当日、無事終わり

私は学校から帰った。

すると突然、

体が思うように動かない

私はすぐ親に伝え、体温を計った

なんと、インフルエンザだった。

私はその日から1週間学校を休んでしまいます。

インフルエンザがようやく治り

私はみんなより1歩遅れて登校する羽目になってしまった。

私は、登校中、募る不安で手が震え心臓がバクバクし、足が震え
とても緊張していたが、楽しみと期待も心の隅に少しあった。

そしてついに、学校に着いた。

恐る恐る、教室を覗くと案の定
複数のグループが出来上がっていた。

周りは、知らない子達だらけで私はこの時初めて、恐怖を覚えた。

こういうのは初めての経験だったので
私は無言で、見つからないように必死に自分の席を探しました。

やっとの思いで、自分の席を見つけそこに座ろうとすると私の後ろの席に見覚えのある子が、彼女は隣の男子ととても楽しそうに話していました。

よくよく見ると、彼女は私と同じ小学校の同級生のA子でした。

私は彼女を見つけた瞬間、一気に肩の力が抜けた気がしました。

つづく











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