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【2023年2月視聴】GTOから学ぶ「大人の価値観」

1998年に放映されたドラマ「GTO」。
グレート(Great)・ティーチャー(Teacher)・オニヅカ(Onizuka)の略である。反町隆史主演、松嶋菜々子がヒロインを飾っている。

名前から推測できる通り、元ヤンの教師鬼塚が不良生徒を更生させる学園ドラマである。
担任いじめをクラス単位で行う生徒たちには、個々が抱える悩みがある。
そんな生徒たちに、鬼塚は奇想天外だが芯のあるやり方で向かい合っていく。一難去ってまた一難と言った具合に物語が進行していく形式である。

このドラマには、
①生徒になくて、大人にあるもの
②生徒にも、大人にもあるもの
③生徒にあって、大人にないもの
が綺麗に描写されている。
(例外は、鬼塚英吉(22)、冬月先生、相沢みやび、学園の理事長等)


①生徒になくて、大人にあるもの


「責任」と「権威」
相関性のある二つの言葉「責任」と「権威」。
これらを大人は偏重しすぎている。

その証拠に、「どう責任をお取りになるおつもりですか」や「責任は鬼塚先生に取ってもらいますので、、、」といったセリフが各話必ず入っている。

また、自分より権威があるかどうかで、対応が全く違うのも大人の特徴になっている。上の者には媚び諂い、下の者には驕り高ぶるのである。


②生徒にも大人にもあるもの


「同調圧力」と「いじめ」
こちらも相関性のある言葉である。
同調圧力に関しては、アイドルを目指した野村(生徒)や、冬月先生が思い悩んだ描写が多々あった。環境に振り回されて、自分の思いを後回しにしてしまう。その心が、「周りと違うのが怖い」→「周りがやっているから、やってもいい」の形成を助長して、いじめへと発展すると考えた。
実際、生徒が行う担任いじめも、先生たちが行った藤富先生に対するいじめも、大多数は明確な動機を持っていないのである。
例えば、相沢みやびが主導した授業ボイコットでも、カラオケ中に「なんか俺学校行ってもいいんだよね別に。相沢が出るなって言うから出ないけど。」と漏らしているモブ生徒がいた。


③生徒にあって、大人にないもの。


それは、「柔軟な価値観の変更」だと考える。

子どもたちは新しい価値観を受け入れるスピードが速い。相沢は例外として、大多数の生徒は鬼塚を一話分で受け入れるのである。

では、大人はどうであろうか。
GTOの世界では、大人は基本的に鬼塚英吉のことが嫌いである。話が進み、鬼塚の功績を凄いと思いつつも、彼をクビにしようと周りは常に考えているのである。
これには、鬼塚が自分たちと違って、「権威に逆らう・保身に走らない・自分の信条を曲げない」といった価値観があるからだと思う。
例えば、最終回で勅使河原先生が言っていた言葉を引用したい。
「前々から思っていたんですけど…、鬼に云うを足すと魂になるんですよ。魂もって仕事したことなかったな僕。」
この言葉から分かる通り、前々から勅使河原は鬼塚の教育方法に理解を示しているのである。他にも中丸先生が鬼塚を脅威と思っていたりする。怖いから早く辞めさせてしまおうといった具合に。

つまり、自分達が鬼塚の凄さを認めつつも、鬼塚のようになるではなく、価値観が異なる鬼塚を排除しようと考えているわけである。この排他的な価値観は、最終回で180度転回するわけだが、親も教員も中々価値観が変わらないのは意図的だったように思える。大人は固定化した価値観を変えるのが難しく、子どもに強要してしまうこともある。その結果、同調圧力が生まれ、いじめへと発展していくのである。


終わりに
GTOがなぜ人気なのか。それは反町隆史と松嶋菜々子が魅力的だからだけではない。そこには、鬼塚のような存在を、視聴者も渇望していたからではないだろうかと考える。社会人として生活していれば、非が無くても頭を下げねばならない時がある。そんな時、鬼塚のように「俺は納得いかない!だから謝りません!」と皆本音では言いたいんじゃなかろうか。自分の信条に従い行動し、生じた責任は自分で負う。そんな人間に惹かれる人が多い世の中なんじゃないかと思った。


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