三代続いた親子の確執 その18
正直言って、幼少時代は母に育ててもらった記憶はない。いつも面倒をみてくれたのは、祖母と母の8つ下の独身だった叔母だった。当時20代前半だった叔母はとても優しかった。一緒に遊んでくれたり、銭湯にいったり、映画にも連れていってくれたりと、叔母との思い出は、嫌なことなど何ひとつない。
ところが、母と叔母の姉妹仲は、良くはなかった。大人になって、母から叔母の悪口を聞くたびに、嫌悪感が走った。どうして、姉妹仲良くできないのだろう?といつも思っていた。
また私自身も、母があまり好きではなかった。というより嫌いだった。幼い頃は大家族で楽しく過ごしていたが、小学校5年で引っ越しして家族5人
で暮らしているうちは、父も生きていたし、特別母を嫌いでもなかった。
高校1年の時父が突然亡くなった。その後の母の子どもへの言葉の暴力と執着に、ほとほと嫌気がさした。
母は自分の感情のままに、子どもたちに言葉の暴力を投げつけた。何度傷つけたられただろう。一番嫌だったのは、朝学校へ行くときに玄関先で投げつけられる言葉だった。その言葉のせいで、一日中憂鬱になったこともしばしば。それは、社会人になってからも続けられた。
家に帰ることも、母親と一緒に夕食を食べることも嫌になり、友達のところでしょっちゅう夜遅くまで過ごしていたものだ。家を出たくて出たくて、しょうがなくなり、ある時強行手段で、一人暮らしの準備をして何か月か部屋を借りて住んだこともあった。
社会人になってすぐに、母から言われた言葉が、「うちは下宿屋じゃないのだから、家賃と食費は毎月よこすように!」これが母親の言う言葉だろうか?そして、ことあるごとに「お父さんが生きていたら、こんな苦労をせずに良かったのに」の台詞。もう聞き飽きた感満載だった。
たまたま、今の主人と出会い、結婚して別世帯を持ったものの、私たち夫婦への干渉もひどく、ことごとく色んなことを指示してきた。
決定的な確執は、私が事業を始めて、借金を負ったときのことだった・・
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