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微妙の美

 あじさいは今が旬の花だ。弾むような陽気の春にも、気持ちよく晴れた夏の日にも、咲き誇ることはしない。なぜか、暑さに向かっていながら不意に涼しくなり、晴れているかと思えば雨が降る、微妙なこの時期に、ひっそりと登場するのだ。だから、桜と違って、ふわふわと花開き、風とともに散って感傷を誘うことも、向日葵のごとく、天に向かって強烈な自己主張をすることもない。

 あじさいで花びらに見える、色の鮮やかな部分はがくなのだが、そのがくの色には、赤か青かという色の区別ができる境界はない。「紫陽花」と名づけられたゆえんが、ここにあるのかは分からないが、赤と青が混ざり合った紫を基調としている。そのせいか、個々で微妙に色が違うので、赤紫、青紫、桃色、水色などとは簡単に言い表せない。

 あじさいの色は、土が酸性かアルカリ性かで決まるらしい。だとするとあじさいは、自身の色を自分で決められず、土に肥料が加わった際などには、その年自分が何色に染まるのか知らずに、悠長に開花時を待つことになる。なんて受動的な生き方であろうか。そもそも季節の変わり目に現れること自体、どっちつかずでやる気が感じられない。天気でいうなら曇り空である。しゃきっと晴れるか、とことん降るか、どちらかに決めてほしいものだ。そうでないと、日傘を持つか雨傘を持つかという微妙な選択を迫られることになる。

 実はうちにあじさいがある。庭がないので鉢植えなのだが、このあじさいは世間一般の微妙さを超えている。ほとんど白いのである。白いといっても色がまったくないというわけではなく、ほんのり青く色づいている程度の色なのだ。これは土がほぼ中性を保っているということか、植木鉢ゆえに土の栄養が不足しているということだろうか。今頃はきっと、つかず離れずという色合いに不満を募らせているかもしれないが、致し方ない。私は以前観葉植物に栄養剤を与えて枯らしてしまったことがあるので、むやみに何かを与えたくないのだ。けれど、そんな私の心情も、今日の住宅事情も、あじさいには分かってもらえないだろう。しかしそんな環境下に置かれ、白いのに懸命に咲き続けるうちのあじさいは、なんとけなげではないか。時や色が移り変わっても心は一途なのだ。

 桜は緑に姿を変えた。向日葵はまだ顔を見せない。次の花へと心が移ろう前に、しばし足を止めてあじさい鑑賞をしようと思い、出かけ際にうちのあじさいをふと見ると、白がほんわりとした青に滲んで、やわらかさをたたえているのに気づいた。今日は曇り空だ。天気予報では雨が降るらしい。けれどよく見ると、雲に透けて青空が覗いている。花の色と空の色が似通っていて、花の輪郭が曖昧に思えた。あじさいは空に溶け込んだ花のようだった。微妙な今日は、晴雨兼用の傘を持っていこう。

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