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メモ:物語性に絡めとられるという発見

メモ:「物語性に絡めとられる」

背景:鬼殺隊に入れず亡くなった子たちが大義名分という「正義らしさ」に真っ直ぐ向かったことは、語弊を憚らずに言えば、例えば現実に起きた特攻隊とかと似ているわけで、その真っ直ぐさに感動もするのだが、その大義名分を背景にした「正義らしさ」という「物語に絡めとられた」結果だな、と思った。

物語に絡めとられることによる正義らしさとは、その人の視点や「信じるもの(今までの常識、当たり前とされる文化背景など)」によって変わるわけで、ここの前提が違う人には理解してもらい難い内容。

その文脈において、「家族を殺された復讐」とか「世界から悪をなくす」(悪の定義はその人の信じるものによる)、「誰か愛する人のために起因した行動」というコンセプトの物語性は、その「信じるもの」を共有しておき、相手に理解してもらいさえすれば、物凄い力を持って、丸ごと相手の強い共感、支持、そしてその文脈における大義名分を伴う行動、ひいては命を絡めとることに成功する。※そしてこれは命をかけるレベルの話だけでなく、今月の所属組織目標を達成する、というレベルで応用できるし、される。意識的であるかもだし、無意識的であるかもしれない。

それはときに残酷であり、ときに美しく、ときに悲哀に満ち満ちて、もしくはものすごい成功や敗北や失敗、高揚感、一体感、または嫌悪をも生みうる。相手との視点と立ち位置の違いにより永遠に平行線を辿ることもある。

きっともうこの手のことには哲学者とか心理学者とかが答えを出しているのでしょうが、(もはやユングかもしれん)「何が絶対的に正しいかわからないよね」という前提の世界の今においては、複数視点でものを見るという必要性を自分に忘れさせない上で私にとっては発見だったので、書き残しました。

しかし、我ながらその気づきの始まりが漫画というのがなんか、頑張れよお前、と思う。

と、同時に漫画の深淵を見る。つまりまた、私は物語性に絡めとられている。

※鬼滅の刃は娘の影響で読んで5回くらいワシワシ泣きました。


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