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【物語】甚佐紅(じんざもみ)の皇女(みこ)

① 皇女(みこ)さまが降りてくる

——さあ、そろそろいらっしゃるころよ。

9月ももう10日になります。

このお宮には月に一度、
天から皇女(みこ)さまが
降ってこられるのでございます。


皇女(みこ)さまはいつも
手紡ぎのきめの細かいおくるみに
その身体をつつまれて
月の小船に乗りながら

ゆらゆら

ゆらゆら

揺らめきながら
わたくしどものところへと
降りてこられるのです。

――おおい、ちゃんと受け止めろ

――やさしく、やさしくだぞ


侍男(おとこ)たちが、2人がかりで手を伸ばし
月の小船を捕まえました。


みんなが小船を取り囲み、覗き込みます。

――今月の皇女(みこ)さまも、なんて美しいんだろう。

――毎度、月がかがやくようだ。

皇女(みこ)さまは、
毎回どこか似ているようで、
毎回少し違ったお顔をされています。

――さっそくお宮に連れて差し上げろ。

皇女(みこ)さまをお寝かせするための、
深紅の洞窟のかたちをした
神殿があります。

それをわたくしどもは「お宮」と呼んでいます。


――今月も腕によりをかけて、ふかふかにしておいた。


――皇女(みこ)さまが、お気に召すといいのだが。

侍男たちがそわそわします。


皇女(みこ)さまが降りてくる
月に一度のこの時期のために
侍男たちが中心となり、
このお宮の壁や床の一面に真っ赤な苔を生やすのです。


その苔は実にふかふかで、肌触りも実に心地がよく、
皇女(みこ)さまをお寝かせするときに欠かせません。


苔の栽培は非常に難しく、しかも毎月
新しい皇女(みこ)さまが降りてこられるごとに
つくりなおします。


侍男たちはせっせと苔を植え、手入れをします。


お宮の壁や床からは、栄養がしみ出してきていて
それが苔を育ててくれるのです。


その栄養が足りない時には
わたくしたちは天にお祈りを捧げます。


――どうか、皇女(みこ)さまが来るまでに、
お宮の苔がふかふかになるように
栄養をお与えください。


火を焚き、真っ黒な煙を天に飛ばし
侍女も侍男もいっしょになって、祈祷の呪文を唱えます。


この祈祷は効果覿面で
熱心に祈れば祈るほど
たくさんの栄養が、お宮にもたらされます。


今月もたくさんのお祈りを捧げました。


おかげで、
苔はたっぷりと栄養を含み
柔らかく豊かに生え揃いました。


小船から下ろした
皇女(みこ)さまをお寝かせすると、
柔らかい苔のうえに
すこし微笑みながら、すやすやとすぐに寝入られました。


今回の皇女(みこ)さまも、
このお宮を気に入ってくださったようです。


みんなで、ほっと胸を撫で下ろしました。

② おつとめ

わたくしたちは
寝る間も惜しまず皇女(みこ)さまの
身の回りのお世話をいたします。


皇女(みこ)さまが
このお宮におられるのは
わずか5日足らずのあいだです。

もしこの5日間に「何か」が起これば、
皇女(みこ)さまは「進化」を遂げて
別のお姿になられるのだという
云い伝えがあります。


――いったい、「進化」とは何だろう。

――わたくしたちが、見たこともないお姿にお変わりになられるのだとは云いますわ。

――そいつなら、わたくしだって聞いたことある。でもそれはいったい、どういうお形なのだろう。

この話は、わたくしたちのあいだで何度交わされたか知れません。

なんといっても、
皇女(みこ)さまがこのお宮に降りて
こられるようになってから
10年もの間、
絶えずお使えしているわたくしたちの中に
それを見たものは誰一人としていないのです。

それどころか、
どこから伝わってきた話なのか
誰が云いはじめた話なのか、
わたくしたちにはわかりません。


それなのにわたくしたちは
全員が揃って
この話を知るともなしに知っています。


まるで、
それぞれが生まれる前から
記憶の中心に埋め込まれていたように。


このお宮ができる前から
いいえ、
この世界が存在する
遥か前から、当たり前のこととして
脈づいているように。


わたくしたちは、
皇女(みこ)さまの
進化のすがたを、見てみたいような
そのときが来るのが怖いような、
不思議な気持ちに
いつもなるのでした。

③ 月の小船で下る

ですが、今月も
皇女(みこ)さまには
何もお起きになりませんでした。


そして、
お宮への滞在を無事に終えらた
皇女(みこ)さまが、
お宮から下界へと続く
長い長い河を
下っていかれるときが
やって参ります。


侍女(おんな)も侍男(おとこ)も、
とても哀しい気持ちになりました。


しかし、
流れる涙を拭く暇(いとま)もなく
彼らは皇女(みこ)さまのお見送りに
精を出します。

皇女(みこ)さまを再び
月の小船にお乗せし、
そっと河に浮かべます。

ゆるゆるとした穏やかな流れに乗り
皇女(みこ)さまのお姿が
遠くなっていかれます。

ともに過ごした5日間だけでなく
お迎えの準備に費やした時間を思えば
毎月、毎月
経験しても、皇女(みこ)さまとの
別れは辛いものです。

薄卵(うすたまご)色にぼんやりと光る
月の小船が、
ちゃぷりちゃぷりと遠くなっていく
様子を見て、
みんなの涙が再び溢れこぼれました。


しかし、ここからまた
わたくしたちには
大事な仕事があるのです。


――最後の仕事だ。

――最後こそが、肝心なのだ。


金色の大きなへらを持ち、
お宮の壁の床の、紅い苔を剥がしていきます。

へらの部分は、
わたくしどもの顔ほどもありまして
その角を苔に突き刺し、
掘り起こしていきます。


侍男(おとこ)も侍女(おんな)も関係ございません。


この作業は
全員総出でやらないと
次の月に間に合わないからです。

ある者は床を這い、
ある者ははしごにのぼり
せっせとへらで苔をこそげ落とします。

剥がした苔は塊のまま、
河へと流していきます。
落ちきらない苔には、水をかけ
くまなく流し落とします。

紅い苔が、
今はもう見えない月の小船のあとを
追うように
ゆるりゆるりと河を流れていきます。

苔は、しっかりと落とす必要があります。
古い苔をきちんとなくしておかないと、
次の苔がよく育たないのです。

紅色の苔が完璧に削ぎ落とされた場所からは
新鮮な生肉のように輝く
甚三紅(じんざもみ)の色が出てきました。


これが
お宮の本来の色なのです。


苔をすべて流し終えるのに、
優に4日以上はかかります。
長引くと、1週間かかることもございます。

みんながみんな、
手や顔を苔で真っ赤に汚しながら
懸命に苔を掻き落としました。


④ 終わり

――ようし、みんなありがとう! 今月も無事に苔を流し終わったぞ。

いきいきとした色合いの
甚三紅(じんざもみ)の壁や床に囲まれて、
わたくしたちはすがすがしい気持ちになりました。


でもここでも
のんびりはしていられません。
次の皇女(みこ)さまが
天から降りてこられるまでに、
また苔を植え、手入れを施さねばなりません。

お宮を内側を全部、
鮮やかな深紅に染めて
おかねばなりません。


誰かがふと云いました。


――皇女(みこ)さまはこの河を下って
いったいどこへ着かれるのだろう?


質問には、誰も答えませんでした。
わたくしどもは
誰ひとりとして
その答えを知らないからです。


――天から降りてくる皇女(みこ)さまは
流れていった皇女(みこ)さまとは
またべつの皇女(みこ)さまなんだろうか。


今度はみんなうっすらとわかりました。

どの皇女(みこ)さまも
似ているけれど、少し違う。
同じだけれど、同じでない。

そんな皇女(みこ)さまなのだ。

でも、
これをことばで上手に説明できる者は
おりませんでしたから、
誰もがまたもや黙っていました。


――皇女(みこ)さまが、
こうやって毎月いらっしゃり河を下っていかれ
また空から降ってくることを、

「輪廻(りんね)」と呼ぶ。

これは、誰もが知っておりましたから
みんな口を揃えて

「そうだ、そうだ」「これは、輪廻だ」と云いました。


かといって、
誰も「輪廻」が一体どういう意味なのかは
知りませんでした。

うっすらと「めぐる」という意味だとはわかりますが
それ以上のことはわかりません。

誰に聞いても答えられないことが
みんなわかっていましたから、
わたくしをはじめ誰もが、
意味を教えてくれなどとは
云い出さないのでした。

答えのないことをあれこれと考えていても
わたくしたちのたましいが
速度を落とさず
次の仕事に向かいだすことを
わたくしたちは知っています。

みんなの胸の裡はもう
また来月降りてくる
月の小船の薄卵色のやわらかい光への
憧憬と責任感でいっぱいでした。


このお宮にしても、
この世界にしても、
わたくしたちには知りえないことが
たくさんあるのです。

そして
理解がさっぱり
及ばなかったとしても

どうすればいいのか、
なにをするのか

そういったことのもろもろは
わたくしたちが生まれる前から
誰かが決めて
その通りに世界は動き
わたくしたちの身体も動き

わたくしたちを戸惑わせるのでした。

わたくしたちはただちに
古代の記憶にとんぼ返りし、
次のなすべきことへと
取り掛かり始めました。


■お読みくださり、ありがとうございました!

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by ゆにお

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