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オンラインもやもや


明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします!

新年の始まりがいつなのか? については、「旧暦にしたがえばいい」って聞いているので、節分辺りまではぼーっとしていていいかな?

とも思っています。

本当に目が覚めて調子が出てくるのは二月二日や三日なんだな、と去年実感して以来、気が楽です。

でも文章は書きます!


川はいつも気持ちいいね~雪山ー!


学校では「オンライン授業」が始まった。

これからずっと続くのかはわからないけど、ひとまず数日間の「テスト」みたいな状態だ。

生徒は自宅。
先生は空っぽの教室に行って授業をし、iPadで撮影しながらライブ配信する形。

急な決定により、iPadを立てるスタンドが不足していたり、画面上での授業は生徒も疲れるから「20分から30分ぐらいでいいです」という伝達については、へ~いいんじゃないかなと思うだけだった。

ムリせず、できる範囲でできることをするということでいいと思うから。

でも、実際に行って、やってみるとなんか変だった。

スタンドが無いことはやはり不便で、余っていた三脚を偶然見つけたから教室に運んで行った。

すると、教室が開いていない。鍵がかかっているのだった。
前の授業の担当者が使用後に鍵を閉めたらしい。

はあああ???

と思いながら、行ってしまったスローなエレベーターの前で待つ。

「クラスによっては、担任が三脚をセッティングしたままにしてくれている場合と、反対に、鍵がかかってる教室もあってバラバラだよ」
とは、さっき他の先生に聞いたけどさあ!

そのことがもうムリなんだって! 
なんでいつまでも自力で・ひとりで・何とかしないといけない世界線なわけ?????
てか、なんで鍵かけるかなあ!? 
もしかけたのなら、なんで次の授業の担当者に一声かけないかなあ!?!?!
なんで個別活動なんだなんで分断しているんだ、まだ! いつまでも!!

なんなの? なんでそれで平気なの???

開始のチャイムはもう鳴りそうで、ケッ! 知るかと思いながらも仕方なく階段を降り始めた時、すぐ下の階から聞こえた大声「鍵かかってるとかありえへーん!!!!」

だよねーーーー!!!!!

by非常勤の女の子。

そっか。こうやって、思ったこと大きい声でその瞬間に叫ばなきゃだよな。
我慢しちゃった。我慢しちゃうし呑み込んじゃう。ぐっとこらえて何とかするために奔走しちゃう。怒りと苛立ちは溜め込んで。後でわかってくれる人に対して噴出させればいいと思ってる。

でも、その時言わなきゃだな。

私は女の子の居場所を探したかったけど鍵を取りに行くことを優先して4階から1階まで階段で降り、鍵を取ってエレベーターで戻る。

開始した「オンライン授業」に生徒たちは参加していて、画面上の名前やアイコンを見て少し安心した。えらいよな、みんな。

私は、「教室に鍵がかかっていて大変だったよ」とまずグチりながら、三脚にiPadを挟むことに苦心し、そのつどぐらぐらと揺れる画面に見ているみんなは気持ち悪くなるんじゃないかなと心配し、しかしどうしても黒板が映る位置に画角が決まらないので、色んな列の机に三脚を立て直したり、黒板のほうを動かしてその高さを調整したりした。
それでもどうしても黒板が映る角度に三脚を設置できない。iPadの重みに耐えきれず、下がってしまう。あらゆるネジやボタンを締めてみたが、うまくいかない。
調整を繰り返しながら私がずっと思っていたのは、さっきと一緒。
なんで私はこれを一人でやっているんだ、ということだった。
一人でできるのが大事、なんてこと決してないな。

私自身がその調子なので、全然一人でやり通す気がなく、だから永遠に三脚は静止しない。
私が本気じゃないから。もちろん、ベース苛ついている。

それで、もうiPadを三脚に固定するのはやめて、私がカメラマンになって板書した映像をiPadで映し、問題を出したり解説をしたりした。それなら黒板に好きなだけ近付けて、大きく映すことができる。

それでも、私の両手はカメラ(iPad)でふさがっているため声だけの解説になってしまうからわかりにくいだろうなと思ったし、じゃあ一体なんでカメラマンがいないんだと思った。

生徒は拍手ボタン👏で、「合ってた!」ことや、「解き終わった!」ことを示してくれたし、チャット機能で「黒板見えないです」とか「声が聞こえにくいです」とか伝えてきて、私は終始えらいなあと思っていた。

他のみんなはどうしているのだろうと、私は空き時間に各教室を見て回った。

驚くべきことに、人々はそれぞれすぐに馴染んで、個々に授業をしていた。
私みたいに永遠にごちゃついている人は皆無だった。

・30分も早く教室に行って板書を用意している人もいた。
・通常時からパワーポイントを使っている人はそれでいいらしかった。
・自分は画面に登場せず、教材だけを手元に置いて映して授業している人もいた。
・生徒にマイクを「オン」にさせ、答えさせている人もいた。

でも、みんな一人だった。


ちょっとお茶のんで休憩して


「色んなやり方があった」から、たしかに「勉強にはなった」けど、私はそんなことはどうでもいいと思った。
ちょっとしたコツや、やりやすい工夫や努力なんていつでもどのようにでも身に付く。
そんなことではなくて、今この大変革の時に、なんでみんなはいつも通りにこなせることを目指すのだろう? まるで何もなかったみたいに? なんでとまどわないの? なんでつじつまを合わせるの? 

それで、なんで私はまだ一人なの???

私は「オンライン授業」のように従来のやり方からの「大変革」のような時は、ガラッと変えられるチャンスが来たのだと思いたいらしい。

たとえば、これまで一人だったけど、何人かで一緒に授業をするというような。

そしてそれは教科を越えて、授業の枠さえも越えていけるのだというふうに。

たとえば…

なんか日々つらいですよね~っていうことの分かち合いのような。

あ、あの先生とあの先生一緒に授業してるー仲いいんや! みたいな。

MC2人のトーク番組かラジオのような。

そのほうが楽しいのにな。


二人がいいじゃん


今までのやり方に何らかの「限界」が訪れたから今こうなっていて、新しいものになれるチャンスで、何か変えないといけないからこうなっているのだと思う。

だから変えないといけないし、そうじゃないと意味がない。
それなのに、私も含めて人々は同じことを繰り返しているだけだからつまらない。

そしてとにかく私は一人はもう嫌なのよ~

ということを、今書きながらやっと理解しました!

何か不快で、でもよくわからなくて、すっきりしなくて、みんなと同じようには目指せないからできなくて、私は「オンライン授業」も「対面授業」と同じく得意だと思ってたのに(根拠なく何でも得意だと思うタイプ)うまくいかないから悔しくて、でもそもそも根本的な違和感があるぞ何だろう、が判明した瞬間。

ひとまずよかったーーー

皮膚科に行ってきます!

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「ててて日記」を読むと、もしかしたら、一人だけど一人じゃないなあって思えるかもしれないです。 ほんの時々、これは知らせたいぜひ! っていうことを、急に書いたりします。 最近は、学校の話が多いです。 好きなのかも。 あとは、家族の話、生き方についてや悩んでいること…。 購読したいけどシステム的に(?)難しいなどの方はお知らせください~。

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