見出し画像

猫のいる、しあわせ

猫を飼っていたことがある。
多いときで3匹飼っていた。

なぜそんなに数が増えたかというと、拾った一匹が妊娠しており、子ネコを産んだからだ。
(半数は人づてに譲った)

みんなとても可愛かったが、中でも黒ネコのオスを一番可愛がっていた。
母猫がアメショー(元が迷い猫なので血統書は不明)のため、真っ黒だけどよく目を凝らすとうっすら縞模様があった。
左の後ろ足のところにほんのひとすじ、くっきりした灰色の縞があった。
瞳は青緑で、凛々しかった。
ピンとしたまっすぐのヒゲは抜けてもピンとしていたので、落ちているのを拾っては手の中で遊んでいた。
立派な真っ白のちいさな牙も持っていた。

体は猫としてはそれなりに大きかったが、鳴き声は愛らしくにゃあんと言っていた。
母猫と妹猫のほうが、わりとしっかりとニャーオ!と主張していた。

彼は私が帰宅するといつも玄関まで迎えにきた。
テレビを見ているとテレビの上に、ご飯を食べていると膝の上に、本を読んでいると本の上に、絵を描いていると絵の上に乗ってじゃれついた。
お風呂から上がってくると、髪を毛づくろいしてくれ(おかげでとかしてもすぐグシャグシャになった)、冬の朝起きるのを渋っていれば、すぐそばで喉をごろごろ鳴らしては二度寝の世界へと引きずり込んでくれた。


彼(と彼女たち)はそれぞれ約15年ほど生きて、そして旅立っていった。

夢現を思わせる半眼で、ぺたんと横に寝て、まるで美しい剥製みたいに。

泣いた。
辛かった。
支えているようで、支えられていたと思い知らされた。
彼らが居なくなって、自分の魂は半分ほど欠けた。


奇妙なことに今日まで 欠けたまま、
食べたり、眠ったり、遊んだり、笑ったり、している。
出来てしまっている。


私はおそらくもう二度と猫は飼えない。
愛していた彼らのことを上書きしてしまいたくないのである。


人間は死ぬとき、自分の好きな存在が迎えに来るという。
(それは脳が最後に見せる錯覚だが、そうして死への恐怖を和らげるのだと言うから、全く生物というのは上手く出来ている。)
私を迎えに来るのは、猫の彼らではないかと思う。 


死してもなお、救ってくれる存在に出会えたこと。

これが私の、猫のいる(いた)しあわせ。

この記事が参加している募集

#猫のいるしあわせ

22,132件