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来る確率が限りなく低い「老後」に夢を乗せることにした

「老後は車に乗れなくなるから、街に引っ越そう」 
そう話すパートナーの言葉を聞くたび、心がじゃりじゃりした。生まれた時から付き合っている病気では、65歳以上の人がいないから。

医師から、日本では50代が最高齢だと聞いたことがある。弁からの逆流が月日を増すごとに悪化している自分に、「老後」があるとは到底思えない。

迎える可能性が低い未来の話をされると、心が暗くなった。どう答えていいのか。いつも、そう悩んで「そうだね」と嘘の笑いを返した。無神経な未来の話に苛立ちもした。


そんな心境に少し変化が生じてきたのは、自分の命を「誰かのための命」ではないと思えるようになってからだ。複雑性PTSDと診断され、カウンセリングを受ける中で、自分の命の受け止め方が変わっていった。

「あなたが生きていることが希望になる」
同じ病気を持つ子の親御さんからそう言われると、私は生きていてもいい気がした。逆に言えば、誰かの希望になるんだという大それた目標がないと、生きていてはいけない気がした。生きていく意味もなかった。

ベッドで身動きできなくなる日を迎えるまでに、やりたいことをしようと思っても、「したいこと」が浮かばかった。今世は早く終わって、来世で幸せになりたいと思っていた。

でも、見える景色が変わった。おいしいものを食べたいから生きたい。去年、初めてライブに行けて感動したから、また行きたくて生きたい。彼と一緒に色々な所へ行きたい。愛猫と一緒にゴロゴロしていたい。

そんな小さくて些細な「したい」が生きる意味になった。誰かのためじゃなく、自分のために生きたいと思えた。

「誰かの希望」なんていう、キラキラしたものではなくてもいい。そう思ってもらってもいいけれど、そのためだけに生きるんじゃない。私が笑うために生きる。そんなシンプルな答えにやっとたどり着けたら、来ない可能性が高い「老後」に夢を乗せてみるのもいいなと思った。

死ぬために生きるんじゃなくて、生きるためにちゃんと生きる。未来の自分が生きるためにNISAを始めて、自分から彼に「未来」の話を言えるようになった”私”は案外好き。

嘘の笑顔じゃなくて、「今は私の希望したところに来てくれてるから、将来はあなたが住みたいところに行こうよ」と心の底からの本音で彼に言える自分が好き。

そういう自分を知って、気づいたことがあった。彼は、無神経に老後の話をしていたんじゃないってこと。私が老後を迎えられない可能性が高いことを分かっているけれど、生きていてほしいから、その想いを込めて、きっと「もしもの話」をしている。

気付けなかった愛を察した時、「生きよう」とより想った。同じ病気の人がどんな道を辿ったか、余命がどうなのかなんて、もうどうでもいい。統計的な話は、もういい。だって、それは私じゃない。

医師が驚くほど、フォンタン手術後の経過がいい今の自分だって、小学生の頃の自分は信じられなかった。統計的にも、こんな未来が待っているなんて分からなかった。だから、「怖い」と身構えている老後だって、もしかしたら違った未来が待っているかもしれない。

統計ではなくて、自分を信じる。そう決めたら、未来は少し明るくなった。先の見えない道を照らす灯は、自分の心で作れる。

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