別にどこにも向かっていない
最近の悩みごと。
何をするにも時間をただただ無駄に、ひたすら消費している感覚がついてまわることだ。
もっと有意義に過ごさなくては、と考え、
有意義とは?と自問自答する。
その繰り返しだ。
学生時代は、学校終わりに1時間でも勉強をしたら、
「今日はめちゃくちゃ有意義に時間を使った!!自分偉い!」と満足感に浸っていたが、
それは向かうべき場所があっての話だ。
テストでいい点を取りたい、いい高校や大学に行きたい、などなど。
私の場合、年を取るにつれ、
向かいたい場所を思い描くことが少なくなった。
日々、やりたいことはたくさんある。
でもそれは向かいたい場所とは別の、趣味娯楽の範囲内だ。
フィンランドに行きたいとか、本の交換会に参加してみたいとか、おいしいスパイスカレーを作ってみたいとか。
明確に目標を持っている友人がいる。
「目標がないっていうのは、どこにでも行ける可能性があるっていうことだからそれはそれで羨ましい」
そんな風に言われた覚えがある。
ゴールから逆算して今やることを決めるのか、
今の連続で興味のあるものを選択していくのか、
そんなニュアンスだと思う。
でも、どうしてもどこかに向かう自分が想像できない。
わたしは昔からなにかを突き詰めることが苦手で、
六割知ったらだいたい満足で、
次から次へとほかのことに手を出すタイプだった。
どこかに向かう、目標を持つ、ということは、
それに莫大なエネルギーと時間を使うことのように思えてしまって、
エネルギーを使いたいなにかを1つに決めることのように思えてしまう。
何かひとつのことにたくさんのエネルギーを注ぐ自分が、どうしても想像できないのだ。
そこまでの覚悟を持って、行動にうつしていけるほど物事に熱中できるタイプではないのかもしれないし、
勇気もないのかもしれない。
だから、エネルギッシュに方向を決めて活動する人をみると、とても羨ましい。
最近は、自分が過ごした時間について「無駄」とか「意味のある」とか評価を下さないことにしている。
向かうべき場所があるのなら、自分の限られた時間の使い方を(その到達点に向かう、という判断基準で)「いい」とか「わるい」とか判断ができるかもしれないけれど、
どこにも向かっていない状態では、いいもわるいもないのだ、きっと。
だからたぶん、わたしはこれからもどこにも向かわない。
スパイスカレーが作りたくなったら作って、
読みたい本があったら読んで、
人と会いたくなったら会って、
そんな風に毎日ふらふらとゆらゆらと行ったり来たりしようと思う。