今日はひさびさの秋晴れで、わたしは雲一つない空を見上げながらゆっくりゆっくり歩いていた。 鳥が一羽、空を横断するのが見えた。 その姿が清々しくも少し寂しく映ってしまうほど、あまりにも空にはなんにもなかった。 鳥を目で追っていると、まだ明るい夕空に銀色に輝く一番星を見つけた。 なにかに似ている…と10秒ほど立ち止まって考える。 真珠でもない、ビーズでもない。 …そうだ。イルミネーションの電球の中の一粒に似ているのだ。 冬の街の銀色イルミネーションの中から、一粒だけとって、広い
中学1年生のわたし、元気ですか? 中学1年生のわたしの、15年後のわたしです。 中学生のころ、何をしていたかなぁとぼんやり考えていたら、中学1年生のころの光景がつい昨日のように蘇ってきたので、 特に理由はないですが、中学1年生のわたしへ文章を書くことにしました。 学校生活にも慣れて、毎日楽しくなってきたころでしょうか? 部活と勉強の両立ができなくて、 勉強がおろそかになっていることと思います。 お母さんに「1分でもいいから勉強をしなさい」と言われ、本当に1分だけ勉強をして勝
大人になった、と思う。 それは、単純に歳を取ったという意味でもあるし、 自分が生活をするためのお金を自分で得られるようになったという意味でもあるし、 「懐かしい」という感情の比率が増えたという意味でもある。 子どもの頃、大人たちは集まると思い出話や昔話ばかりするんだから、と思っていた。 両親も、親戚のおじさんもおばさんも、おばあちゃんも学校の先生も。 みんなみんな、集まると思い出話に花を咲かせていて、 そんなに昔は楽しかったのだろうかと、不思議に思っていた。 母から何度も
わたしは暇だ。 暇すぎるがゆえに、ミジンコレベルのことでもちゃんと落ち込む。 そういう私のミジンコレベルの落ち込みをちゃんと聞いてくれる友達が1人、いる。 聞いてくれて、「そんなことで悩んでる人見たことない!」と話を聞きつつも笑ってくれるので、 「ああ、これは落ち込むことではなかったのか!」と知って、私は安心してその落ち込みを手放すのだ。 アドバイスをもらうほどの悩みでもないので、 こういうちいさなちいさな落ち込んだことを笑ってくれる人がどうしても必要なのだ。 いつだ
最近の悩みごと。 何をするにも時間をただただ無駄に、ひたすら消費している感覚がついてまわることだ。 もっと有意義に過ごさなくては、と考え、 有意義とは?と自問自答する。 その繰り返しだ。 学生時代は、学校終わりに1時間でも勉強をしたら、 「今日はめちゃくちゃ有意義に時間を使った!!自分偉い!」と満足感に浸っていたが、 それは向かうべき場所があっての話だ。 テストでいい点を取りたい、いい高校や大学に行きたい、などなど。 私の場合、年を取るにつれ、 向かいたい場所を思い描く
自分に、「丁寧な暮らし」ほど似合わない言葉はないと思う。 なぜなら、私ががさつで適当なことを一番知っているのは、私と四六時中一緒にいる私だからだ。 でも、そういう暮らしの投稿をみるのは大好きだし、 なんなら結構憧れてまでいる(笑) たまに、真似する。 そして、いつも「自分がやるとなんだか違う…」という変な違和感と、一応撮った写真だけを残して、終わってしまう。 今日は、白米を鍋炊きした。 白米を「鍋」で炊くなんて。 これはもう私にとって完全に「丁寧な暮らし」である。 一人
日曜日の夜、どうしても参加したいイベントがある。 月曜日は朝から仕事だ。 イベントが終わるのは21時、自宅に着く頃には22時を余裕で過ぎているだろう。 こんな状況で、なんのためらいもなく、予定を入れられる人を本当に尊敬する。 「これがまだ木曜日とかなら私だってギリギリためらわずに予定を組めるかもしれない。 しかし、これから5連勤を控えた日曜日の夜だ。 日曜日の夜なんて、コンディションを整えるためにあるようなものではないか………」 などと頭の中で独り言を繰り広げ、 結局月曜日
10134日。 生まれてから今日までの日数だ。 なんとなく気になって、インターネットで調べてみた。 仕事中、「どうやったら今日を捕まえられるのだろう。」とぼんやり考えていた。 毎日生活をして、仕事をして、生きているのに、 その証拠がまるでないのだ。 日記や写真、やりとりしたメッセージはその証拠のごく一部でしかないし、 見返さなければ、これから来る毎日にどんどん埋もれていってしまう。 今こうして文字を入力している間にも、どんどん時間は過ぎて過去になっていくし、 どうしたって
三連休、予定が白紙になってしまったので、 実家でのんびりと過ごした。 りんごと白米と、妹手作りのプリン、それに母が最近ハマっているらしい冷凍肉まん3つと食材を傷めないための保冷剤がたくさん入った、来た時の3倍くらいの重さのバッグを抱えて、 一人のおうちに帰る。 実家と一人のおうちと2つあると、「帰る」という表現がどちらにも使えてしまうため、難しい。 私「なんかアイスコーヒー飲みたいわ」 母「お母さんも、甘いもの食べたい、行く?」 妹「行く」 この3言で土曜日の夜、 弾丸
初夏に一人暮らしを始めて、4ヶ月ほどが経過した。 環境的には大きな変化ではあったけれど、 実家が近いということもあり、心理的に大きな変化や負担を感じていたわけではない。 それがここ1ヶ月ほどの期間で、自分の心のなかで大きな変化を感じるようになったので、書き留めておこうと思い、今noteを開いている。 一番大きな変化は、休日に人と過ごす時間の割合を増やすようになったことだ。 私は元々、とっても一人で過ごすことが好きだった。 もちろん友人と遊ぶし、どうしても興味のあるイベ
自分の家の壁に「自分をおろそかにしない」と手書きで書いた紙を貼ってから、2週間が経った。 それまで、言葉は自分からアクセスしないと思い出して眺めることはできないものだと思っていた。 例えば本を読んだり、自分の日記をよみかえしたり、 友達とお話したり。 どれも気力と体力が底を尽きそうなくらいにヘトヘトなときには、到底できない。 必要な言葉へのアクセスは、意外と遠い。 簡単にアクセスができるスマホでは、必要ではないマイナスな言葉や情報までするすると心のなかに入っては堆積してい
夏が(やっと…!)終わりかけているのか、 今日は涼しい風が吹いていて、 秋の始まりを感じた。 秋は季節の中で一番大好きなのだけれど、 その秋の中でも秋の始まりが一番すきだ。 秋の始まり、毎年毎年、いつかの秋を思い出して切なくなる。 切なかったり、悲しかったりする出来事が秋にあったわけではないのに、 ここ数年は秋の始まりを感じるたびに切なくなるのだ。 実家の近くにマクドナルドがあって、わたしはそのマクドナルドのヘビーユーザーだったのだが、 やっと涼しくなってきたころ、今日
とっても落ち込んで帰ってきて、 さらにカフェで2時間ぐるぐると悩んだけれど、 最終的に「自分がまっすぐいるだけだ。周りの人は関係ない。」と納得できた平日の終わり、今日。 悩む時間は長すぎるけど(!)、最終的にそう思える自分はとてもとても好き。
甘い食べ物が、世間の平均と比較するとそんなに好きではないのだけれど、 今日、仕事からの帰り道、「あ、ケーキ食べたいわ」と思った。 思ったというより、口が甘いものを食べるモードだったから、このまま家に帰って夕飯を食べるのは絶対に違う。と確信して、 思うより先に、足がカフェに向かって動いていた。 甘いものを食べない中でも、ケーキは普段ほとんど食べない。 家族の誕生日かなにかで家にあったらそりゃあ食べるけれど、 自分でお金を出してまでケーキを食べたい気分になることはない。 それな
あぁ、1日が終わった〜!!という、達成感と満足感を噛み締めながらベッドに横になってすぐに、やっていなかったことを思い出して、 重い体を持ち上げて再びベッドから出る、ということを2日連続で繰り返している。 昨日のそれは歯磨きで、今日は薬。 ベッドに入って、しあわせーってなっている状況が、絶望感に拍車をかけていると思う。 日常をたのしく、いとおしく、過ごせたらいいなぁと思うけれど、 私の日常のリアルは、上に書いたようなことの繰り返しだ。 昨日は泡ハイター(とその他もろもろ)を
夜2時くらいに布団に入った。 なんだか目が冴えてしまって眠ることができないうちに、カーテンの隙間からグレーがかった夜明けの光が入ってきて、そこからはもう寝ることを諦めた。 YouTubeを見たり、小説を読んだりして過ごした。 自分のことではないのに感情を揺さぶられて涙が出てきた。 ちょうど昨日読んでいたムーミンの小説で、 「こんなに泣いてもいい理由があるときには、いちどきに泣いておくの。」 という台詞があって、心の底から共感したばかりだった。 自分のことで涙を流すのは余計し