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#3 お母さんの唐揚げ

半年前、私が高校3年生の時に学校の「フリースピーチ」というイベントで発表したものを投稿させていただきます。他の発表者が校則など学校に対しての意見を伝えるなか、私は自分が学校生活で抱いてきた想いを全校生徒の前で吐きました。想いが伝わったのか、有難いことにたくさんの生徒や先生方に褒めていただき、今その原稿はなぜか保健室にあります(笑)悩みを持った生徒さんなどに「昔ある生徒がこんなフリースピーチしてたんだよ」と見せるそうです。拙い文章ではありますが、少しでも想いが届くといいなと思います。前置きが長くなりましたが以下が発表した文章です。少し長いですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。



「お母さんの唐揚げ」

小学校の行事の時、お弁当には必ずお母さんが作る唐揚げが入っていました。私の大好物だからです。ただの唐揚げではありません。お母さんが作る唐揚げです。唐揚げに限らず、私はお母さんのご飯が大好きでした。

そんなお母さんは、私が中学二年生の時に白血病で死んでしまいました。お母さんは長い間入院していたし、ドラマのような余命宣告も耳にしていたので、ある程度心の準備は出来ていました。それでもお母さんが本当にいなくなってしまって、一番後悔したことがあります。それはお母さんのご飯を再現できないことです。
先月命日だったので、その日に家で唐揚げを作ってみました。美味しかったんですけど、全然お母さんの唐揚げじゃありませんでした。何度か作ってはいますが、全く近づきません。もうお母さんの唐揚げは食べられないのかな、なんでレシピを聞かなかったんだろう、ととても後悔しています。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、家庭によってご飯を作る人は違うと思います。誰であれ、作ってくれる人がいることはとても素敵なことです。私は中学生のときから自分のためにご飯を作ってくれる人がいません。朝起きたらご飯を作ってくれていて、お昼にはお弁当があり、夜家に帰るとご飯が用意されている。私はそれが凄く羨ましい。

私は一人っ子で、思春期の娘と父が二人で暮らすことは、私の家庭の場合は上手くいかず、ご飯はそれぞれが食べたいものを好きなときに食べています。毎食なにを食べるか考え、毎日一人で食べる生活を送っています。だから友達と外食に行くときはとても幸せです。一人で食べるのは凄く楽だけど、食べる相手がいることはそれ以上に幸せなことだと思います。

これからみなさんは、お母さんが作ってくれるご飯を食べる機会がどんどん減っていきます。それは先生方が一番分かっていると思います。特に三年生、春から一人暮らしを始める人がたくさんいることでしょう。大学生活が始まり、帰省をしても地元の友達と遊び、実家に帰ることなど年に数日です。大学生なんてそんなもんです。
就職や結婚などのタイミングで家をでる人もたくさんいると思います。
もし好きな料理があるなら、お母さんが死んでも食べ続けたいものがあるなら、いなくなってしまう前に、受け継いでほしいです。交通事故だろうと病気だろうと、死は突然訪れます。私はお母さんの唐揚げが食べられないことでとても後悔しているので、私の経験談で少しでもみなさんの後悔が減ることを願っています。

                          Yuna                      
                  


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