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【短編】アイスコーヒー

ノベプラからの転載です。「夏の5題マラソン」参加作品。

 いったいどうしてこんなことになってしまったんだろう。
 私はさっそく後悔し始めていた。
 いや、後悔というよりも、目の前で起きていることを信じられなかった。

 私の目の前にはどこまでも続く砂漠が続いている。後ろには私自身の足跡が、風に流され途中で切れていた。
 空はどこまでも続くような太陽が、砂漠を明るく照らしている。太陽が纏うべき夕暮れのヴェールも、降りるべき夜の帳もまだ無い。
 つまり私は、この暑い中、暑い砂漠を彷徨っている事になる。

 ハイヒールじゃなくて良かった。
 それでなくとも砂漠を行くには、Tシャツとジーンズでは少々カジュアルすぎる格好だけれども。
 つまり、何故私は、こんな格好で砂漠を歩いているのか、ということだ。

 順を追って説明すると――私は美味しいアイスコーヒーが飲める魔女の店があると聞いて、地図を片手に彷徨っていた。
 そのときはまだ日本にいた。
 というか、日本の地方都市の中をうろついていたのだから、海外に出た記憶は無い。ついでにいうと鳥取に居た記憶も無いし、そもそも歩いていたのは砂漠とは無縁の町中だ。
 もはや魔女の店というだけで、疑うべきだったのだ。

 狭い路地を進んだこぢんまりとした場所に、店はあった。魔女の店というだけあって、伝統的な魔女の家の外見をしていた。海外からそのまま運んできたのではないかと思うくらい、三角屋根が不自然にぐりんと曲がった家だった。そのときの私はウッキウキで、ドアを開けたのである。

「――あ」

 そこに店内があると思ったのが間違いだった。
 そのときはもう既に、私の足元には砂漠が広がっていたのである。
 いましがた通ってきた扉はすっかり消えてしまっていて、代わりに足下に看板がひとつ立っていた。

 『魔女の店 この先』

 ……かくして私の砂漠を渡る旅は始まったのである。
 果たしてこれは現実なのかどうかを吟味する前に、とにかく歩かなければならなかった。本当に何もない。というより砂しかない。店らしきものはどこにも見当たらなかった。それでも客を突然砂漠に放り込むことができる程度には、店主は魔女をやっているらしい。
 ただでさえ暑さでべたついた肌に、ぴったりと衣服がくっつく。
 靴の中に砂が入り込み、足裏の汗とくっついてじゃりじゃりとした感触を残す。
 いったいどこまでこの砂漠は続くのだろう。

 喉が渇く。
 流れ出る汗を拭いながら、ひたすらに前へ進む。途中から靴を脱いで砂に直に足をつけると、やや温かな温度が伝わってきた。これなら大丈夫だ。片手ずつ靴を持って、もくもくと砂丘を歩く。
 喉が渇く。
 何をしにきたのか忘れそうになる。
 喉が渇く。
 それでも下を向き、もくもくと歩き続ける。もう普通だったらとっくに諦めているような距離だ。
 朦朧とする意識の中、私はひたすら砂漠を歩き続けた。

 もう何か考えるような能力さえ、失いかけたその時だった。

「……あ」

 突然のように、私は目の前に現れた影のようなものを見上げた。

「……店だ……」

 路地裏で見た店があった。
 扉を開けると、からんからんと涼しげな音が響き渡った。いらっしゃい、とカウンターで笑う店主は、三角帽子に袖の無い黒いワンピースを着た魔女だった。

「よく諦めずにたどり着いたわねえ」

 ということは、この現象はやはりこの人の仕業か。

「大丈夫よ、帰りはすぐ帰れるから」
「いや、なんでこんなに複雑なんですか」

 私が尋ねると彼女にっこりと笑いながら、まあどうぞとカウンター席を薦めた。私は疲労しきって、ふらふらとその通りに座ってしまった。久しぶりに椅子に座ったような気さえする。彼女は踵を返し、カウンターの中でコーヒーを作り始めた。
 からん――と響いた涼しげな音が、私の耳から全身に染み渡る。

「だって、ねえ、あなた」

 ころころと笑うように彼女は言う。
 振り返った彼女は、私にアイスコーヒーを差し出した。テーブルの上を滑ったストローが、ちょうど私の口の前で止まった。ごくりと喉が鳴る。もう喉どころか体がからからに渇いている。

「――わかるでしょう?」

 ああ、くそ。
 わかる。

 ストローを通ったアイスコーヒーが、僅かな苦味と、冷たさで喉を潤していく。
 僅かに氷がこすれる音とともに、全身から染みこんでくる。
 それはいままで飲んだどんなコーヒーよりも――美味かった。

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