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私の留学出口戦略 Part 1

皆さんこんにちは!今回は私の留学出口戦略についてお話ししたいと思います。最近日本では「グローバル人材」というワードがトレンドですが、それに従い英語学習、留学への関心が高まっています。ただ、その目的、その先のゴールについて、所謂「出口戦略」についてはあまり議論されていないのが現状かと思います。そこで、私の留学出口戦略について、一つの例として皆さんに共有できればと思います。


最終的な私の目標

私は世界で日本人としてではなく、私Yunaとして活躍したいという目標があります。世界とはいっても、メインの拠点はアジア圏。理由は個人的にアジアの文化が好きなのと、経済成長と人口増加のトレンドを見てもアジアという場所は将来性のある場所だと思っています。実際、近年欧米の企業も次々にアジアの国々に進出し、ビジネスチャンスが広がっています。そこで、もう一つの目標が欧米とアジアをつなぐ架け橋になるような人材になることです。この二つの目標は相違性があるようで、実は相関性があります。その2つの目標を達成する為に私が立てた戦略を細かく順を追って説明していきます。

始まりは中学2年生

中学2年生の時に日本人の転校生がニュージーランドからやってきました。私は学区内の公立の中学校に通い、当時平凡な成績、英語なんて音がカッコいいなというただ漠然的な憧れを持っていました。実際には英語の成績が悪く、見かねたお母さんが見つけた地域の英会話スクールに中学1年生の後半から通う程でした。英語に対して興味はあったので、帰国子女の転校生の子に自ら話しかけに行き、仲良くなりました。ある日、その子がニュージーランドにいた時の友達を紹介してもらいメル友になりました。それから拙い英語力でしたが、自分が外国人と英語を使ってコミュニケーションをとっていることに感激し、英語というツールの凄さを肌で感じました。その経験が私の留学戦略の原点となる出来事です。(実は、そのニュージーランドの子は香港人で、高校入学と同時に香港に戻り今現在大学はイギリスの大学に通っています。今でも連絡を取り合っていて、去年マレーシアで初めて直接会ったんです!人の縁って不思議ですよね!)

メル友からリア友に昇格!In Mid Valley Megamall 

第2のターニングポイント

それから猛勉強して交換留学が一番長く行ける高校に無事合格しました。全体的な偏差値は最終的に10ぐらい上げたのではないでしょうか。高校受験を全力でサポートしてくれた親に心から感謝しています(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
高校一年次にオーストラリアメルボルンにあるNossal High Schoolに1か月間交換留学に行きました。アジア系の学生が7割近く在籍していた学校だったので、カルチャーショックというものはあまり無かったですが、私と同じアジア人で英語を完璧に操る姿は格別にかっこよく見えました。同じ年の子が自分の母国語は勿論、英語を使って何かを学ぶ英語力、それだけではなく頭もいい学生が多かったので、将来世界で活躍できる人材のレベルに当時既に達しているのを目の当たりにして自分との大きな差を感じました。ですが、同時に私もみんなみたいになりたいという憧れと、「絶対になる」というモチベーションが生まれ、大学は海外に行くという目標が生まれました。高校2年次には自主留学でNossal High Schoolに1か月間また夏休み期間中行きました。(現地の校長先生に直談判して個人的に留学しました)
高校から今でもオーストラリアの友達とは連絡を取り合っていて、医者やエンジニア、会計士などと優秀ルートを順調に渡っています。どれくらいオーストラリアドルで稼いでいるのでしょうか?羨ましいですね(笑)

授業中 At Nossal High School 
友達とハイチーズ! in Melbourne Central 制服可愛い♡

アジアへの関心

オーストラリア留学でしたが、アジア系の学生の割合がが多かったので、必然的にアジア人との交流が多かったです。特に、韓国人、中国人、ベトナム人の友達が多くその子達の文化や言語に触れる機会が多かったです。元々韓国ドラマが好きだったので韓国語はある程度その当時でも喋ることができたのですが、中国人の友達の影響で中国ドラマにハマってしまいました。
‎(●︎´ڡ`●︎) 俳優さんも女優さんも美男美女でビジュアル良し、ストーリーも面白く、そこから中国語に興味を持ち始めました。キャリアウーマンを描写する中国ドラマが結構多くあるのですが、それを見て私もこんな風にバリバリ働くキャリアウーマンになりたいと思い、その憧れが現実的にシンガポールや香港というアジア圏の世界的な都市で活躍する人になるという目標がその時から設定されました。(華人・華僑の多い場所)目標の設定が感情的で凄く単純だと思うのですが、このシナリオが一番当時の自分の中で再現率が高いと自動的に脳が判断しました。(今でも自分がそうなる像は想像できます。)フランクで自由な欧米文化も好きですが、やはり拠点アジアがいいという結論に至りました。

正規留学でモナッシュ大学マレーシア校に入学

よく聞かれる質問になぜ海外留学?なぜモナッシュ大学? なぜマレーシア校?が聞かれる質問トップ3なのですが、海外留学に関しましてはオーストラリアの友達と同じレベルになりたいという思いが一番強かったからです。同じレベルというのは英語力とグローバル人材としての即戦力。同じ土俵で勝負できるよう大学からみんなと同じ環境にいたいと思い海外の大学を選びました。あとは日本の国際系の大学に行っても結局留学生とつるむだろうと思ったので、むしろ自分が留学生になった方が効率が良いと思ったのと、日本の大学に行っても交換留学で自分が行きたい大学に行けるかは不確実だという点を考慮しました。そうなると日本の大学に行くという選択肢は完全に無くなったので、高校で2年生からは内申点向上と英語力アップにオールインしました。なのでセンター試験を含める日本の大学受験は一切しませんでした。学年で海外大学進学者は私のみ。学校側は国公立を押すタイプの学校だったので異例の選択ですが、悔いもないですし迷いもありませんでした。人生一度きりですからね!(私の場合は親、友達、学校、塾、全ての人から反対されず応援されたことが幸運で、その環境に感謝しております)

 なぜモナッシュ大学かというと、簡単に言うと人生で最初に行った大学がモナッシュ大学だったからです。オーストラリア留学の時にたまたまオープンキャンパスをやっていて、友達と大学を見に行った日にビビっと直感的にここに通いたいと思いました。またまた単純ですね(笑)あとは多くの友達がモナッシュ大学に通っているということもあり、私も同じ大学に行きたいという思いが強かったという点もありました。ここで、なぜメルボルンじゃなくてマレーシア?という質問ですが、実際はメルボルンの本校に行きたい気持ちが大きかったのですが、金銭的な面で少し厳しかったというのが実際のところです 。年間350万(授業料のみ)は驚異的な学費ですよね。留学ビジネスがオーストラリアの1つのメイン国内産業なのでどうしようもないですが、、それしても高い。°(°´ᯅ`°)°。 それはともかく、その後そもそもアジアで活躍するためにはアジアのコネクションが必要だということに気が付きマレーシアを選択肢に入れました。シンガポールやマレーシアを含む東南アジアで経済的に力を握っているのは華人達。しかもその華人ネットワークの力は計り知れず、そのコネクションを持っているか持っていないかでは今後活動範囲に大きな影響が及ぶと考えました。中国語は興味もあり、高校生の時に独学で聞き取りは結構できるようになったので、お金持ちの華人の子供とコネクションを作ることでいろんな情報が得られると考えました。(いざこうやって文章化すると凄い計算高い女だなと思いますが、まぁそれを「戦略的」という風に呼ぼうと思います(笑))ただ、やはりマレイシアンチャイニーズ同士では中国語で話すので、中国語の聞き取りだけできるだけでもグループの輪の中に入りやすいです。私が他の留学生よりもローカルとの繋がりが強いのも中国語がある程度できるからだと思います。実際私以外の人はみんなマレイシアンチャイニーズで中国語だけ話される場面も沢山ありました。そのお陰で中国語のレベルもアップし、いろんなローカル情報を得ることができました。結果論ではありますが、正直当時メルボルン校に行けたとしても、マレーシアという選択が私にとっては最適だったと思います。貧富の差が大きいということもあり、政治的民族的な面でのマレーシアの経済の動き方が凄く興味深いですし、経済成長の裏側を知れたというのは凄くいい経験になったと思います。さらに、今後とも切磋琢磨して一緒に成長し合いたい友達にも出会うことができました!これが一番の留学の醍醐味ですかね(*´∇`*)

クリスマスパーティー🎄 
日の出を見に朝5時起きでPort DicksonへGO!

Part 1はここまでで、Part2は就活や、大学卒業の進路に関しても言及した内容をお届け致しますのでお楽しみに!(๑❛︎ڡ❛︎๑)☆︎


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