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DoからBeへ、余白ある過ごし方。

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住34歳
◎ブレスワークガイド 
◎20代は教職・開発コンサル・青年海外協力隊etc,
◎”ブラック教員”で心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿中(4/16~)
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今日、水浴びをする息子を見ながら
ふと思ったこと。

Being="あること"について。



相手が大切な人だったり
期待を持ってくれていたり
自分も献身的な気持ちがあると

「〜〜してあげたい」
という想いが強くなって

あれこれと気を回したり
アクションを詰め込んだり
言葉が多くなったりするけれど

本当は、
ただその時をともに過ごす、
それだけで良いのかもしれない。

本当に大切なことは
私が何をするか、Doingじゃなくて
私がそこにどうあるか、Beingの方。




相手をよく観察して
誠心誠意、心を寄せていたとしても

「〜してあげたい」の状態は
アクションの量・質・タイミングなどに
どうしても気が囚われやすい気がする。
頭もいっぱい。

アクションの有無に価値があるような感じ。

もしアクションが出来なかったり
受け取られなかったりしたら
失敗した、ダメだったと
自分を責めたり相手を責めるような気持ちになる。

Doingは時に息苦しい。




一方で
「ただ、一緒に時を過ごそう」
というだけの状態は"無"に近い。

アクションの量・質・タイミングなんかは
何の問題でもなくて
アクションは無意識的だ。

だからエゴがない。

価値があるのは「私がそこにいる」
という事実だけだから
どこに向かっても何をしてもいい。
相手との関わりはとても自由だ。

Beingは気楽で、余白がある。




ブレスワークのガイドとしても
家族・友人との関わりにおいても

願わくばいつも後者でありたいなぁ。

私の想いや意図の遂行、
期待に応えるための行動(doing)
じゃなくて
心からそこに一緒にいる(being)
そういう時間を過ごしたい。

お互いの存在を感じ合う
シンプルで愛から成るつながり。


 

明日は京都で最後となる
ブレスワーク対面セッションです。

来てくれる方々との時間を
素直に味わいたいと思います。








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