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(雑記)フェミニストが「セクシー」について考えてみた

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住33歳
◎ブレスワークガイド
◎「海外に目を向けた日本人を育てたい」の想いで教職や開発コンサル・青年海外協力隊など転々と
◎”ブラック教員”の最中に心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿
 +30分で書き上げチャレンジ(時間切れで記事が途中で終わる事もあります)


「皆さん、セクシーって好きですか?」

先日友人のインスタグラムで「セクシー迷子」なる話をしていて、とっても面白かったので私も考えてみる事にしました。

おあきさんのインスタ↓


私は、セクシーって苦手です。

何でかっていうと…
私、家父長制の家庭育ちなんですね。(ドーン)

田舎にある昔ながらの男尊女卑が残る家で
まぁ〜理不尽な扱いを散々受け、
長いこと性への不平等感を持っていました。

小学生の頃から
女性に生まれて悔しいと何度も思ったし
社会のジェンダー意識についても
色々言いたいことがある。

昨今揶揄されて言いづらい雰囲気がありますが
私はフェミニストです。

だから
セクシー(=性的な魅力、官能的がある)って
あえて雑に言ってしまえば
性的対象が好む・興奮するような特徴のことで

それが、何だか男性に媚を売るような…
他人軸な評価な感じがして嫌だった。




セクシーだと思われたくない


「女性」である苦さを強烈に感じたのは
10代後半〜20代前半の頃ですが

10年前なんかはまだ「女子力」とか「モテコーデ」
みたいな男性目線の価値観も一般的で
(逆も然りだけど)

いろんなことが「男か女か」で線引きされるし
異性の好みに配慮することが望ましいような
よく分からん空気感がメジャーでしたよね。

モテコーデとかやったことあるけど
後でとんでもない虚しさが来て嫌だったなぁ。


で、セクシーって「モテ」とかよりも
もっと"性"が強く出る感じがするじゃないですか。
肉体的なというか、
身体的"女性”を全面に出すような。
人間よりも性的な魅力が前にくる感じ。

だからもう、早め早めに避けていました。
服装から立ち振る舞いから…。

「私から1番遠い言葉がセクシーだよね!笑」
って何度も言ったことあります。

セクシーって思われたくなかった。
性的にどうこうじゃなくて、
人間として見て欲しかったから。




ここまでが、昔話なんですけど。
(え、残り6分)


今はもうセクシーがどうとか
性的なこと、セックスとかも含め
特に苦手意識や嫌悪もありません。

それは時代の流れもあるだろうし
自分が多少なりとも知見が増えたこととか
夫とのパートナーシップとか
色々な要因はあるでしょう。


で、改めてセクシーについて考えてみると・・・

思い浮かぶのは一人の女性。

私の人間関係の中で段違いに
「セクシーだな」って人がいるんですよ。


彼女の何をセクシーに感じるのか。

それはたぶん彼女の強さ。
彼女はいつでも自信がある。

自分の判断や意見、
自分の能力に自信をもっている。

(もしかしたら自信がない時でも
それを公には見せない。
もしくは弱さを見せる強さがある)

自分への信頼がバッチリあって
どんな時もブレずに自分らしくある
そんな彼女の凛とした佇まい、
瞳の強さに魅了される。

だから、私が思うセクシーさって「強さ」かも。


人が見てどう、とか
女性としてどう、とかじゃなくて

自分を信頼して
どんな時も自分を大切に
瞳に意志を宿す

そんなセクシーな人に・・・私




(以下、加筆した続き)

そんな、
”私なり”のセクシーな人には
なりたいと思います。

女性らしさを全面に出したり
男性の目を気にしたり
肌の露出を増やす、セクシーさじゃなくて

自分に対しての確かな自信と
優しく強い瞳をもつ
人として魅力的な人に。

もちろんそれをセクシーだと
あえて意識する必要もなく

そのまんまの私でいることが大事。


もしこの先おあきさんみたいに
「セクシーなドレスコード」を求められたり
自分のセクシーさに迷う日が来たら
今日の記事を見返そうと思います。

どんな形容詞も自分なりの解釈を持っていい。
私が思うセクシー
私が思うかっこいい
私が思う美しい

そうやって自分の目で世界を捉えて
マイペースに楽しみたいです。



PS: 苦手だった「セクシー」が
なんか面白い概念に変わってくれて
考えてみてよかった。



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