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だいじょうぶだぁ

往年のコメディアン志村けんさんが先日、新型コロナウイルス肺炎でお亡くなりになられた。

常に第一線で活躍されるその姿はお笑い芸人として人生を全うし、最後の最後までカッコよかった。まさに“笑いの神様”である。

ご冥福をお祈り申し上げます。

現在、お笑い芸人としてご活躍していらっしゃる芸人さんの、そのほとんどの方が志村さんに影響を受けているのではないだろうか。“お笑い”の道を作り、日本のお笑いをアップデートさせたと言っても決して言い過ぎではないと思う。

芸人でもない、ただの一般市民のど素人の僕がこうして記事に書くまでのことはないですが、子どもの頃から夢中で観ていた志村さんがもうこの世にいないと思うと、ショックで心に穴が空いたような気持ちでいっぱいになった。

記事を書きながら追悼の意を込めて昔のコントを改めて観る。

人生で一度はお会いしてみたかったな。

日本には“大喜利”のような高度なセンスが必要なお笑いの文化があり、そしてさらに細分化され、さまざまな芸のスタイルがある。漫才、漫談、落語、ピン芸、コントなど実にさまざまだ。

子どもの頃からお笑いが好きだった僕はシンプルにテレビが好きだった。中でもお笑い番組は熱心に観ていた。特に好きだったのはコント番組。“コント”という言葉を意識的に理解したのは小学校高学年の頃だが、保育園年長頃から小学校低学年頃、当時は“コント”という言葉も知らずに『だいじょうぶだぁ』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を毎週楽しみに観ていた。

テレビの中の、その空間で繰り広げられているやりとりはまさにコントなのである。コントの概念も知らず、わけもわからず、画面の向こういるおじさんたちが面白いことをただただやっている。

意味は分からないがそれが面白いと思って観ていた。子どもが夢中になる理由は至ってシンプルなのである。

コント番組『だいじょうぶだぁ』では“変なおじさん”のモノマネもした。「変なおーじさん、だかーら変なおーじさん」沖縄音階に乗せて歌いながら踊る変なおじさんが、これほどまでに長く愛されるとは、この当時誰が想像出来ただろうか。予定調和のそのコントは毎回「だっふんだ!」締めくくられる。

子どもにとってとてもコピーしやすくかつ、面白い。誰にでもすぐに理解できるコントだ。

「だいじょうだぁ〜」と言いながら変な太鼓を叩く“だいじょうぶだぁ教祖”の「だいじょうぶだぁ〜ウェッウェッウェッ」のモノマネもした。

いしのようこさんとの寝室での間の抜けた掛け合い「ごごご、5時ぃー?」や「そこまで言う?早見優、北天佑引退、醤油、ラー油、アイラブユー!んー仲直り」も当時、姉や兄弟、友だちとマネをした。

たまに再放送されるドリフのヒゲダンス。

遠心力を使って水の入ったバケツを回す遊びも、研ナオコさんとの掛け合い気だるい声の「なまたまご」も最高だった。

『だいじょうぶだぁ』に関していえば高知は当時民放は2局しかなく、フジテレビ系列はまだ開局していなかったため、確か日テレ系列かTBS系列での夕方からの再放送であったたと記憶している。

当時の番組はシンプルに面白かったのである。ちびっこたちはこぞって志村さんのマネをした。家や学校、生活の中心にはいつもお笑いがあった。

僕をはじめ、30代半ばか後半、40歳前後の世代には特に目頭がアツくなる思い出だろう。

また同じ時期に毎週土曜8時TBSで放送されていた『加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ』通称“加トケン”(子どもたちのあいだでは“加トケン”と略され愛された)では、加藤茶さんと志村さんが探偵に扮し、“ボス”からかかってくる電話での司令に迷走するコント「探偵物語」

シアリスなものからホラー系、SF系、世にも奇妙な物語風のものまで幅広いコントを展開していた。ホラー系は当時一人でトイレに行けないほど怖かった。透明人間になる薬を発明して女湯にいくコント、スイカの早食い。エッチなシーンが流れると家族の空気が気まずくなったり。

こんな内容をゴールデンタイムで放送していたのだから今ではとても考えられない。テレビ界の発明である。

翌週の学校では番組の話題で持ちきりだった。

実にさまざまなコントを作ってきた志村さん。それらを見て育った多感な世代、間違いなく今の僕を作っている。といっても僕は芸人にはなれなかった。シャイでおとなしい僕でも人を笑わせたいといつも思い、人を笑わせることに憧れたこともあった。

いつもテレビで観ていた志村けんさんはまさに子どもたちみんなのヒーローだった。

月日は流れ、僕はもう子ども向けのような誰にでもわかるお笑いからは離れていった。よりシュールで高度なセンスが要求されるお笑いへと好みをシフトしていった。新しいと思ったし、尖っていて挑発的だとも思った。理解するにはある程度のお笑いの教養が必要だった。そんなスタイルのお笑いにのめり込んだ。

特番のスペシャルで放送されるバカ殿は半ば薄目で観ていたし、「いつもワンパターンじゃん」と心のどこかで思っていた。もう子どもころの僕はいない。意味もなく尖っていた僕は志村さんでは笑わなくなってしまった。決して嫌いとかそんな理由ではない。

純粋さも忘れてただ、僕はカッコつけたかったのだ。誰に反発するわけでもなく、ただ尖っていたかったのだ。殺傷力の高いお笑いの方が
カッコいい。まるで意味のない思想だった。

先日の訃報により、ネットで志村さんの歴史を調べ、YouTubeで過去の作品を漁るように観る。子どものころ夢中で観ていたそれらはやはり、めちゃくちゃ面白い。『だいじょうぶだぁ』での、いしのようこさんや、研ナオコさんとの息の合った掛け合い、『加ちゃんけんちゃん』での大掛かりなセットや、さまざまな映画へのオマージュ、そして前衛的な撮影方法。

そのどれもが素晴らしいクオリティーで作られており、実験的で意欲的な番組を作ってこられたのだなと思う。

一貫してずっと同じようなコントをもう何十年ものあいだやっているのである。セオリー通りの、予定調和の、それこそワンパターンの。最後は必ず「だっふんだ」。ワンパターンを出来ることが最強なのだ。

そうまさに人生はコントだ。

その姿はストイックでいてカッコいい。

YouTubeの中で再生されるあなたは若くて、その動きのひとつひとつが美しい。もうこの世にいないことが今でも信じられません。

笑いの神様、あなたに会えてよかった。

心が折れそうになったとき、自信が持てないとき、気が抜けた声でこう呟こう。

「だいじょうぶだぁ〜」
バカバカしくてなんて笑えるフレーズだろう。

たとえ自分がダメになってしまっても最後は「だっふんだ」と言って笑えればそれでいいと思う。

これらの言葉に人の全てが込められている気がする。だいじょうぶだぁ。

改めてご冥福ををお祈りいたします。そして安らかにお眠りください。向こうで長さんと仲良くやってください。長いあいだありがとうございました。お疲れ様でした。

最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。

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