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食への関心

僕は食に関心がない。

好きな食べたものは何?と聞かれれば「うーん、なんだろう、、うーん、、、(しばらく考える)カレー、、ですかね」とやっと答える。

カレー。子どものような答えだ。

好きな食べ物を即座に答えるのが苦手だ。
僕にはこれといって好きな食べ物がない。

「好きな食べ物がない」と答えると、話が終わってしまう。決して会話上手なタイプではないが、相づちはうまい。なるべくなら雰囲気を壊さず、相手を尊重しながら会話を続けたい。

食べ物の話になった時は「カレー」と答えるようにしている。これは人生で絞り出してきたアイデアだ。

カレーは食べやすい。誰が作ってもカレーだ。サラサラかトロトロの違いだけでカレーはどこまでもカレーだ。

使い回しの効く「カレー」は便利で会話の中でも非常に使いやすいワードだ。残ってしまった場合は翌日に持ち越せるし、その日中に処理できる。さらにうどんを入れることで「カレーうどん」にすることもできる。

カレーその後のアレンジはアイデア次第で工夫できる。“カレー”とはまさにスパイスの効いたパワーワードだ。

響きもいい。

「カレーが好きです!」と言えば、一般的に「あー!そうなんだー!美味しいもんねー!」と誰もが納得してくれる。どんな場面でもだいたい通じるし、カレーに突っ込まれずにスルーしてくれる。それぞれが想像出来る“それぞれのカレー”がある。カレーの記憶があり体験がある。言わばカレーは故郷だ。

そう日本人のほとんどの人はカレーが好きだ。同様にカレーが嫌いな人もほとんどいない

僕は好きな食べ物がない。

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うどん

人にこんな告白を堂々と出来ない小心者のため僕は心の声をnoteに書く。これは大々的なカミングアウトだ。もう一度言う、僕は食に関心のない人間で好きな食べ物がない。

反対に嫌いな食べ物もない。

出されたらだいたいなんでも食べる。死ぬまでに一度でいいから食べたいものなんてない。毎日同じ食べ物でいい。

お腹がすいても用事やクリエイティブな作業をしていると食べないし、極限まで減って「あーなんか食べないとヤバいかも」と思って適当なものを適当に食べる。パトロール中のアンパンマンが自分の顔をちぎって親切に「ほら食べなよ。お腹減ってるんだろ?」と言われても、「いえ、お構いなく。今は大丈夫なんで。」と言うだろう。きっと。

逆に食べない方が体にとっていいこともある。食べないことで感性がソリッドになり細胞が若返ると信じている。

自分でもかなりやばい発想だけど。

食についてもう少し掘り下げると、満腹感が苦手だ。腹が張るあの感覚が苦手。例えば昼頃に何とか定食みたいなものをガッツリ食べてしまうともう、その日の夜の食事はもう要らない。ずっーと腹が張っているという不快感。

幼少の頃よりその感覚があるため、満腹にならないよう自分なりに工夫して食事してきた。満腹になると気持ち悪くなって度々吐いたりしていたので、満腹になるのを出来るだけ避けてきた。「全然食べんね」と日頃から言われるのは幼少の頃の経験からだ。胃が小さいためすぐに腹が張る。対策として“ちょっとずつ食い”を考案した。

ちょっと食べてちょっと休む。
つまり“ネコ食い”だ。ずっとこれをやってきた。

普段お酒を飲むためこの食べ方が自分には合っている。2〜3品のちょっとしたつまみとビール。この感じが好きだ。

「残さず食べなさい。米を一粒も残すな。もったいない」「朝昼晩3食必ず食べなさい。」父親に言われて育ってきた。幼少期から中学生くらいまで、食に対する精神的な辛さのようなものがあった。残さず全部食べる。そんな刷り込みのもと育ってきたので、大人になっても未だに米粒は残さないし、食べ物を残すのは申し訳ないと思う。

ルーツを辿れば、食への関心のなさは子ども時代の記憶や体験からのきているのかもしれない。

料理を作ってくれた人の気持ちを考えると残したくない。特に好き嫌いもないので基本残さず全部食べる。

一番の理想は好きな時間に好きなものを好きなだけ食べればいい。そんなものでいいと思う。腹を空かしている方がちょうどいい。

空腹が一番の調味料だ。

食は自由。

さて今日は何食べよ?

最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。

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