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やんわり言葉のすすめ【4分】


やんわり生きたい

会話をするとき、文章を書くとき、私は「やんわり言葉」を使うように心がけている。

やんわり言葉を使うとは、どういうことか。

「私、ブロッコリーはきらい」

と言いたくなるところを、ぐっとこらえて、

「私、ブロッコリーは苦手」

と言い換えることだ。

ちなみに、私ユミヨシはブロッコリーが大好きである。

今日は、私が遭遇した具体的な場面を例に挙げて、やんわり言葉を使ってみませんか、という提案をしたい。

卵アレルギーの話

私には、小さいころから卵アレルギーがある。

中学、高校とお弁当持参の学校に通ったので、よほど親しくなければ、中学以降からの友だちは私の卵アレルギーを知らないかもしれない。

卵アレルギーは乳幼児期に発症することが大半で、例に漏れず私もそうなのだけれど、成長するにしたがって症状が軽快することが多いところ、私はそうはならなかった。

むしろ、中学生くらいから症状が悪化してしまい、小学生のころなんていっときカステラまでも食べられたのに、意図せず少量口にしてしまっただけで喉のかゆみだけではなく唇が腫れるようになってしまった。

要するに、今も私は卵が食べられない。

卵って実はけっこう多くの食べ物に含まれていて、目玉焼きやオムライスなど卵感全開のものから、ハンバーグ、ちくわなど、卵感薄めのものまで、多岐にわたる。

中華麺の黄色が、かんすいの黄色ではなくて卵の黄色である場合もあるので、気軽にラーメン屋さんに入ることもできない。

普通の飲食店に比べて、ラーメン店はラーメンが食べられなければ代替の選択肢がないことが多く、店員さんに聞くのも難易度が高めなので、実はお店でラーメンを食べた経験があんまりない。

ユミヨシをラーメン店に誘って、やんわりと断られた経験のある方、こういう理由だったのです。

どうか、お許しください。

私もほんとうは、ラーメン屋さん、一緒に行きたかったの。

「ずるい」に傷ついた記憶

小学校の給食では、ありがたいことに卵アレルギー対応があって、例えば通常卵入りのロールパンを卵なしのものにしてもらえた。

でも、献立が親子丼の日はどうなるか。

さすがに、給食センター側でそこまでの対応はしてもらえない。

そんな日には、母がそぼろ丼をつくって持たせてくれた。

プーさんの絵が描かれたタッパーに入れて。

親子丼に少しでも近しいもので、卵が入っていないもの、と一生懸命考えてくれたのだと思う。

きっと、担任の先生と相談したこともあるのだろう。

私は、もちろんみんなと同じ給食が食べられないことは悲しかったけれど、親の愛情と思いやりを感じて嬉しく食べていた。

けれど、それは私の話。

クラスメイトから見たら、みんな同じ給食の親子丼を食べているのに、ユミヨシはひとりだけ持参したそぼろ丼を食べている、と映っただろう。

特に小学校低学年ほどであれば、当事者でないかぎりは食物アレルギーの概念がうまくわからなかったかもしれない。

そこで、しばしば言われたのだ。

「ひとりだけ、ずるい」と。

初めて言われたときは、どういうことか理解が追いつかなかった気がするし、何度言われても新鮮に「ずるい」という言葉が私をえぐった。

母の言葉

ある日、積み重なった「ずるい」に耐えきれず、私の思いを母に話した。

そうしたら、母は言った。

「その子は、うらやましいんだよ」と。

そうだったのか、と思って、はっとした。

当時の私は、ずるいずるいと言われる側でしかなく、私はずるいことをしているのかもしれない、きっとそうなのだ、という思いばかりに囚われ、クラスメイトから自分がどう見えているのかがわからなかった。

7、8歳の子どもに無理な話ではあるけれど。

母の考えはひとつの想像ではあるけれど、じゅうぶんにあり得る話だった。

概して言うのは少し憚れるものの、集団とは多く、異質なものを指摘し、糾弾し、排除する方向に向かうものとだいたいの相場が決まっている。

当時の小学校の教室で、私は、ある意味において、あきらかに異質な存在だった。

ずるいって言うの、ちょっと考えてみませんか

小学生当時のクラスメイトを非難する意図は、まったくない。

すこし、いや、相当に、私は物事に対して過敏に反応してしまうタイプで、勝手に、あまりにも勝手に傷ついていただけの話だ。

それとは独立した話として、私は、自分の発言や文章で誰かをすこしでも傷つけてしまう可能性があるのなら、極力その可能性を避けたいと考えるし、世の中がそんな方向に向かっていったらいいな、と平和ぼけした頭で思う。

だから、やんわり言葉を使ってみませんか。

「私、ブロッコリーはきらい」

と言いたくなるところを、ぐっとこらえて、

「私、ブロッコリーは苦手」

と言い換える。

同じように、

「あなたはずるい」

とすごく言いたくなるかもしれないけれど、ちょっと立ち止まって一呼吸おいて、

「あなたがうらやましい」

と言ってみる。

それだけで、世界はすこし優しくなるはず。

もちろん、「ずるい」以外の言葉で代替できない場面では、使っても一向にかまわない。

いやいや、かわまないも何も、私はほんのちょっとした提案をしているだけで、あなたの日常の会話や文章に介入する気はない。

それでも、私は言いたい。

1日に1回、1週間に1回、1月に1回でもいい。

やんわり言葉を使ってみませんか。

おわりに

今日の短歌(既発表作より)

お隣の芝生はいつも青いからうちはルビーを庭に撒こうよ/弓吉えり


私もそう。

お隣の芝生は、いつだってすごくすごく鮮やかな青色をしている。

だけれど、だからこそ、その青を見てきぃーーーって思うだけじゃなくて、一歩その気持ちを昇華させて、自分の庭にはルビーを撒いていたいと思う。

そのルビーは、私の庭で、私とあなたのために輝いてくれるはず。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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