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苦手をこじらせていたら天職についていた話


皆さんには苦手なことってありますか?


ロジカルシンキングが苦手
ビジネス思考が苦手
人と話すのが苦手
計画を立てるのが苦手

いろんな苦手があるのではないでしょうか?

その苦手に対して、皆さんはどう向き合っていますか?

「できない、ぴえん。だめだつらい」ってなったり、

「うぉおおおおおお!成長機会だぁああ!」と乗り越えるための努力をひたすらするなどがあるのかなと思ったりします。

わたしは超あります。

こんにちは、ゆみです

わたしは今、普段は対話のコミュニケーションでお仕事をしています。

今は、当たり前のように、組織のリーダーの皆さんに、コミュニケーションの仕方を教えたり、人生をどう生きたいのかを相談にのる仕事をしているわけなんです。

でもですね、何を隠そう、私は元々はコミュ力かなりのポンコツなんですよね。

1対1で話すのは、なんとかできるけれど、特に雑談ってなると3人以上で、飲み会で女子同士で話すとなると「え、いつ入っていいのこの会話?」ってなって、家帰ってから「もっとうまく話せたらよかったのに、、、自分のうんこ」ってなって、酒飲んでふて寝するくらいのポンコツ具合と、ネガティブ思考のオンパレードな人です。

基本的には明るくコミュニケーションもとりますし、しゃべったらポジティブな雰囲気でているらしいので、あまりそう見えないらしいのですが、結局はちょっとずつ自分なりに努力をしてきた結果なのかな~と思ったりします。

今日のnoteは、苦手を責めて辛くなっている人に向けて書いてみたいなと思います。


つまづき始めたのは小学生時代

先程書いたようにわたしは、元々はコミュ力ポンコツなんですよね。
小学校の頃は、それこそ1、2年生くらいまでは順調だった気がしますが、3年生くらいから、友達の作り方がよくわからなくなりました。

親が少し高齢だったこともあり、今時の流行のものには割と疎く、兄がいる影響で、女の子が好きなものよりは、兄が持っているゲームとか漫画に触れる機会の方が多かったです。
従妹もいましたが、10歳くらい年齢が離れていることもあり、おさがりのものも少し前の時代のものが多く、新しいものを取りいれる思考に疎かったのを覚えています。

だからかなのかわからないですが、クラスの女子の会話についていくのが大変でした。

当時、クラスで流行っていたのは、モーニング娘。やKinkikidsなどアイドルの話。本当にあまり知らなくて、女子の輪に入るのも難しかったです。

それでも努力して輪に入ろうと、親に頼んであまり興味のないアイドルのCDを買いに行った時期もありました。

当時、女子特有のあまり気に入らない子を無視するといういじめも経験したのですが、同じ輪の中で自分もいじめをしたいと思えず、拒否をすれば自分もじめられるというループにはまっていき、コミュニケーションの何が正解なのかがわからなくなりはじめたのでした。

いじめとトラブルが続いた中学時代

特に中学時代は、本当に苦しかったです。
先程も書いたように、周りに自分が好まないもの、好きじゃないことに同調するのが、凄く苦手だったんですよね。

これ女子特有かもしれないですが、トイレにいくのも一緒に行かないといけない感じや、部活が一緒のメンバーがいれば一緒に行動するみたいなのもめちゃくちゃ苦手でした。

自分の言いたいことを割とはっきり言ってしまう傾向にあったので、引き続き中学校でも人間関係に悩みました。

そんな、わたしを好きでいてくれる友人も複数いましたが、一部の人からは、他者に同調できないときに言われた言葉は、「自分勝手だよね」という評価でした。

「自分勝手」という評価は、そうだろうなという思いもありつつも、どうやったら自分を変えられるのかわからなかったし、人とうまく協調性が取れない自分を変えるのが難しかったです。

周りに同調しにくい自分のことが大嫌いでした。周りにちゃんと合わせられないわたしが大嫌いでした。

気づいたら、クラスの男子を総じてのいじめが突然始まりました。
何がきっかけかはわかりません。

好きでもない話したこともない男の子を好きなんだと勝手に噂をされ、その中には性的な悪口もありました。

いまでも思い出してかなりトラウマなので、具体的なことは書けないけれど、最終的には、黒板にその悪口を書かれました。


悪口を書かれた黒板を見た瞬間、

「こいつらは、わたしが何も反抗しない、わたしのことを見下して勝手に何もできないって舐めているから、こんなことができるんだ」

と理解しました。
黒板消しを思いっきり主犯格の男の子に投げつけました(マネしないでね)

突然起きたわたしの反抗行為にビビったのか、翌日以降いじめはピタっとやみました。

いじめが止んだことに安心するのと、同時に、悲しさと辛さと怒りも心の中にふつふつと感じていたのを覚えています。

確かに、わたしは人とのコミュニケーションをとるのがそこまで得意じゃないし、人と同調するのが苦手だったのは事実です。

そんなわたしの、振る舞いが知らないうちに傷つけていた時もあったのだと思います。

だからといって、人としての尊厳を踏みつけられるようなことをされるいわれはないのです。

もう舐められてたまるかと、いつかわたしをいじめたやつを見返してやりたい!舐められてたまるかと一念発起した当時の私。

猛勉強の末、当時の地域の一番の進学校に進学しました。

何者にもなれない高校時代

「絶対将来出世して活躍して、いじめたやつらを見返してやる!!」と意気込んで進学校に入ったものの、現実は甘くありませんでした。

いじめられても戦えるようになりたいと単純な思考(なんだそれ)で剣道部に入ったものの、運動神経がそこまでよくなかったわたしはいつもレギュラー落ちが多く、、、。

それでも途中死ぬ気で頑張ってなんとかレギュラーはとりましたが

高校に入ってから、同じやり方では勉強も鳴かず飛ばずで、全然順調ではありませんでした。

コミュニケーションも得意じゃないし、勉強もそこそこしかできない、でもいつか絶対にあいつらを見返してやりたい!!

その思いを持っていました。

あいつらなんかを見返せるキラキラした夢を持ちたかったんです。

今書いていて、とても情けないですけれども

わたしはいじめた人達を見下してやりたかった。
なんとしても見返したかったんです。
わたしのことを舐めていたあいつらを見返したかったんです。

当時は、成功している人のイメージは私の中では、海外で活躍している人っていう漠然なイメージを持っていて、父親がやっている建築士になって海外を飛び回ればもしかしたら、なんとなくすごい!と思われそう!みたいなことを漠然と思って、むちゃくちゃ文系脳だった癖に理系の大学を目指し始めました。

何者かになりかっただけで、本当に建築士が向いているかどうかなんて単純な思考でしか考えていなかったわたしには、本当に自分に何が向いているかなんて考えなかったし、自分が本当は何がやりたいのかなんてわからずに進路を決めてしまいました。

人生で一番苦悩した浪人時代

そんなこんなで、わたしをいじめたあいつらを見返したいって気持ちで大学受験に挑んだわたしですが、得意でもなんでもない科目で受験に挑戦し失敗しました。

落ちた後は、予備校に通わねばならず、親に土下座して、予備校代を払ってもらいました。予備校代って本当に高くて、目ん玉飛び出る金額なんですよね。

自分の能力のなさやうんこみたいなコミュニケーション能力、見返したいっていうわたしのくだらないプライドに親を付き合わせているもの理解していたので、むちゃくちゃ苦しかったです。

見返したい思いは残っているし、親には申し訳ない。申し訳ないって思っている癖になかなか予備校での成績も伸びなかったし、ただただ時間が過ぎていきました。

また、受からなかったら、どうしよう。
今度受からなかったら、また見下される?
こんな欠陥品のわたしはやっぱりだめなんだ

みたいなこと考えていました。

9月が過ぎたころに、わたしは自分の異変に気が付きました。
体が動かなくなったのです。

起き上がれない日々がしばらく続き、本当は起き上がりたいのに、体が動かず眠れなくなり、予備校に行けなくなりました。

1か月ほど、動けなくなったときに、考えたのは「一体わたしは何と戦っているのだろう」ということでした。

いじめたあいつらより優秀にならきゃ、見返せるような自分でいないといけない。そのために私は輝かしいキャリアを歩まないといけない。

そう思うのに、現実のわたしは成績は悪いし、お金をかけさせて親に迷惑をかけるばかり。

こんなことをずっと考えて生きているのは苦しい、生きていくのがつらくて死にたい気持ちがとまらなくなりました。

いじめた人達に対する恨みつらみが重なりすぎて、いつまでたっても自信を持てなくなっている自分に嫌気がさしました。

当時は、あまり自覚はありませんでしたが、怨みつらみをはらすために優秀じゃない自分を優秀にしたてあげるのをやめたいと思い始めたのはこの頃だった気がします。

わたしは決して、めちゃくちゃすごい人ではないし、器用な方ではないです。人生を順風満帆に生きてきた人ではない、完璧ではない人間で、欠陥だらけの人間です。

でも、それを認めるのが嫌だったんですよね。
認めてしまえば、わたしなんて価値がないことを認めてしまっているようなものだと思っていました。

人間関係なんかトラブルだらけだったし、生きていて楽しかったと思えることは実は少なかったです。ずっと怒りと情けなさがありました。

心の傷を言葉でふさいでもらった体験

情けなさの中で生きているときに、とある内科の病院の先生に出会いました。
当時はほとんど、食べれなくなっていたので、胃の不調を訴えたけれど、特に異常はなし。精神的なことだから当たり前なんですよね。

「他に何か気になっていることある?」と彼が聴いてくれたことによって
受験に実は悩んでいることを打ち明けることができました。

診察をしてくれた医師の人は優しく笑って、

「なんや!赤本やればいいねん。受ける大学決まってるか?そこの何回も繰り返しやってみ、大丈夫やから」

そう私に優しくいってくれたんです。

彼の一言で、一気に心から不安が消えて、力が湧いてくるのを感じました。
そんなすごい一言を言ってくれたわけではないけれど、でも彼はわたしがつらいことを聴いてくれた。そして、やるべきことも教えてくれた。
大丈夫って言ってくれた。

それだけで、元気になれたんです。

言葉って人を元気にすることができるんだ。

これはわたしにとって、衝撃的な体験でした。

わたしは、いじめた人達から物理的に暴力は振るわれたことはないです。
むしろ、最後はわたしが物理的に反抗して終わりました。

言葉の暴力でずっと殴られてきた、心からは、ずっと大量の血が流れていました。

文字通り、ずたずただった。

自分で、その血を必死に止めたかったけれど、血が噴き出して止まらなくなっていた。

その傷は、目に見えないから、人から見たときに「そんなの大したことない」と言われがちなんです。でも間違いなくわたしは、心に大怪我をしていたんです。

薬でも何でもなく、わたしを過去に傷つけたはずの言葉で血を止めてくれる人もいるのだと教えてもらったのです。

わたしも、「血を止められる人になりたい」。

人との関係性に不器用だったわたしだから、わかることもある。

もともと得意な人にわからないことが、わたしには理解できることもある。

わたしも、人との関係性や生き方に悩んで、傷がついている人たちに薬をわたして、自分の足で歩けるようになってもらいたい。

そんな志を抱くようになり、一旦呪いのような怨みから抜け出して、対人支援を目指していくわけですが、その後も、不器用だったわたしがスムーズにいくはずもなく、コーチの仕事につけるようになるまで順風満帆ではありませんでした。

その後の話はこちらから読めます。

汚点が天職になった今感じること


順風満帆ではない人生です。この仕事につくまで、人を恨んだし、自分に自信も無くして、死にたくなることもいっぱいありました。

それでも、今この仕事は、心の底から、やっていてよかったと思うし、天職だと思っています。

順風満帆じゃないからこそ、苦手だったからこそ、いま人間関係で悩むクライアントさんが何で躓いているのかか想像できるんですよね。
もちろんすべてではありませんが。

共感できるし、想像力が働くんです。
その人がどんな人に向き合っていて、どんな環境や制度の中で生きているから、どんな風に生きてきたのか、今なぜそんな性格になったのか。


人間関係はめんどくさいものです。
なんとかしなきゃとやっきになるものです。

事実として、でも無理に解決しなくていいこともあります。
しかし多少の知識だったりがあれば、改善ができることもあったりします。
でも、そのラインがわからないというのが普通なんですよね。

悩みすぎたからこそ、乗り越えたくて、向き合い続けたからこそ、必要な整理の仕方や向き合い方、スキルを身に着けてきて、相手に見えていない視点を伝えられるようになりました。

わたしの今のクライアントさんは人間関係で相談を頂くことがとっても多いです。クライアントさんの多くは、人間関係で傷ついてきた人もいますが、躓くことが少なかった人も多くいます。

今まで躓くことが少なかったからこそ、今は何で困っているのかがわかっていない人が多いんですよね。

そういう人には見えていないけれど、わたししか見えていない視点をお渡しすることができるんです。

時間がたってから、「あの時、悩んでいたのがウソみたいです!他の仕事もめちゃくちゃ順調になりました」と連絡をくれるクライアントも増えていきました。

いつも、その言葉に活力を貰えています。

自分の人生において、一番の汚点だったコミュニケーションの失敗が今は、誰かの役に立っていて、わたしの人生に彩りを与えてくれています。

わたしが何を言い、どんな問を投げたところで変化を起こすのはクライアント自身だけれども、心から向き合って受け取ってもらえた体験はとんでもなくうれしくて生きていてよかったなといつも思える瞬間です。

いつだったか、わたしにコーチングをしてくれていたコーチに(今は卒業しています)「ゆみさんは、コーチになるために生まれた人だね」といわれて、嬉しくなったし、今わたし自身もそう思えています。

人生は変化が起きるのが当たり前なので、もちろん未来のことはわかりませんが、これからのわたしの人生でコーチという仕事を一切しなくなることはないと感じています。

自分のダメなところに目がいって動けない人へ

苦手なことって、みんなそれぞれあると思います。
苦手によって、辛くて悲しくて、自分の足りなさに目が行って苦しかった経験絶対あるんですよね。

苦手なことがあるのって悪いことに見えるけど、ダメじゃないんですよね。
才能でもあるんです

得意をいかしてそのまま仕事にできる人もいますが、苦手を乗り越えたひとは得意な人にない視点を持っています。

だから、お願い。

「自分はだめだ」なんていわないで。

すごくわかるんです、わたしも「自分はだめだ」「クソだ」って言い続けていたから。

いつもクライアントさんがこの言葉を言うと私は悲しくて泣きそうになるし、同時に怒りも感じるんです。

だって本当は才能にあふれてこんなに頑張っている人がいるのに、自分をダメなんて言われるのは悲しすぎるし、そんなこと言わせてる何かがあるのであれば、わたしは我慢ができないんです。


今のそのダメという言葉を変えていくことは、人によってはしんどいことだとも理解しています。
そんなのもう変えられないよって思う人もいるのわかるんです。

だって言っている間は、自分をどこかで諦めているから、諦められる分ちょっと楽なんです。

でも、気づかないうちに心の傷から血が噴き出して止まらなくなっているかもしれないんです。

もう、自分の血を止めてあげましょう。
傷ついて諦めている自分の心に気づいてあげられるのも自分だけです。

もしかしたら、気づいたけど、まだこのままでいたいっていう人もいるかもしれません。傷をふさぎたいか、ふさぎたくないかは、一緒に決めることだってできます。

でも、傷をふさいで立ち上がりたい人もいるはずなんです。

傷をふさいで立ち上がる準備をしましょう。

立ち上がって、あなたにやれることを探しに行きましょう!

もうあきらめたくない!自分のこと舐めてやるか!

って心の叫びが聞こえてきた人は、

頼ってください。

わたしがすべてお役立ちできるかどうかはわからないけれど、お話しして、お役立ちできそうだったら、本気であなたの人生に伴走させてください。

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