見出し画像

創造性における、わたしの勘違い

クリエイティブってなんだ!!!
イノベーションってなんだ!!!
の衝動がしばらく続いてましたが、
ほどよく整理できました。

大きな勘違いでした。

生い立ち

奇抜に愛を表現する両親の元で育ったお話はいつかの機会に書くとして、
創造性を勘違いしていた背景を考察するにあたり、
少し生い立ちにふれたいと思います。

プーケットで生まれるも、離婚により日本へ強制帰国してきた私は
5歳にして突如見知らぬ土地にやってきた感覚。
日本語もわからないし、お母さんとおばあちゃん以外知っている人いないし…

このとき潜在的に
「この見知らぬ力ある大人たちに愛されないと生き残れない」
と思っていた気がします。

なので、お母さんの言うことに従順に
学校の先生の言うことに従順にして、
それで大人たちが喜んでくれるとなんだか安心で。

だから暗記型の勉強ですら「楽しい!」と取り組めたのは、
先生たちが嬉しそうに誇らしげに接してくれるから。

そんな調子で、疑わず、全力で、12年間の暗記型教育を受けた結果、
社会人になってぶつかった壁はこれです。

正解がわからない問題に取り組めない。

マニュアルがあればできるのですが。
効率的に従順にガイドラインに沿うことならできるのですが。


正解がわからない問題に取り組めない

2社目のAI開発ベンチャーに転職したことが大きな転機でした。
創業期にジョインして、いわゆるコーポレートという肩書のなんでもやる人をやりました。
代表が放った言葉、

「ゆみも経営者だと思ってこの会社をサポートしてほしい」

を鵜呑みにして、この会社で起きるあらゆる責任は自分にもあるのだと思って、
なんでも、泣きながらでも(笑)会社にとっていいはずのことをやりました。

それでも達成できないことがたくさんあった。
わからない問題だらけだった。
AIという新しい技術で、これから世に出るものを、
リソースの何を優先して、誰をターゲットに、
どうやってマーケットインさせたらいいのか。

社内中に意見を聞いてもまとまらなかった。
そもそも自分の思考回路が、
社内の人たちが求めていることをやる(先生が喜ぶことをして安心する)
のままだったから、世の中が何を必要としているか、を考える思考に至らなかった。

24歳の小さな頭と体が、パンクして、停止。

正解がわからない問題に取り組めない。
イノベーションは起こせない。
自分に革新的ななにかをうみだすことはできない。

心底愛した会社で結果を出せず、現場に戻れなかったという挫折で、
「自分がどうしたいのか」を思考することすら諦めました。


\引きこもってたよね/

画像1


「正解」探しではなく「好き」探し

深い闇底に落ち込んだところで、これまでの生活習慣を見直して
リセットして前をむいたときにQosmoに参画しました。
Qosmoがどんな会社かというと、昨年夏に在籍していたオーストリアからのインターン生がうまく表現してくれていたので引用します。

「Qosmoは自分の携わるプロジェクトにオーナーシップを持つための様々な探求を応援してくれる場所です。」
全文はこちら

Qosmoに参画するまでは、自分が表現したいことに向き合うことの重要性をわかっていなかったように思います。
それが仕事や生き方に直結していることも。

しかし、もうクリエイティビティをうやむやにできない環境になってしまった。なので自分の感性が動く音楽・本・猫に意識的に集中して向き合いました。(私がQosmoに宣言した1月-3月のOKRはget deep into my own creativity)
その結果、大きな勘違いに気が付きました。

「創造」とは耕し、掘り起こし、組み合わせる

もともと創造性とは、クリエイティブとは、まだないものを生み出すことなのかと思っていました。

しかし何も無いところから生み出すのではない。
宇宙全体で蓄えているあらゆる情報群から、先人たちが引用したものや、自分のDNAが記憶しているものを掘り起こす「探求作業」であることだと。
これに気がついた後で、以前に読んだことがあるアートに関する記事や言葉にもういちど触れてみると、汲み取れる情報量がぐんっと増えたように感じます。

Qosmo代表の徳井も創造性についてこのように述べていました。

「そう、「創造性」というと、無から何かを生み出す行為のように思われがちですが、組み合わせを探索する問題としてとらえることが可能です。」
AIと創造性 - 組み合わせの図書館とAI 徳井直生

組み合わせていく。
参照元となる情報群を大きくしていく。
あまりに楽しい作業で驚愕しました。
今までの暗記やマルチタスク処理に比べたら、こんなに楽しいアクティビティだったなんて…
「自分にはなにかをうみだすことはできない」と創造性に対する考え方にフタをしていたことを反省。
大きな挫折から大きく学びました。

暗記型教育に従順にならって生きてきた私の「創造性」に対する考えを改めてくれた、創造性に関する好きな言葉を最後にいくつか記録しておきます。

「ぼくたちのだれもが、世界に存続するすべてのものから成り立っている。ぼくたちのからだが、魚まで、否、もっとさかのぼった所までの発展の系図を内に蔵しているように、ぼくたちは魂の中に、かつて人間の魂の中に生きたことのあるいっさいのものを持っているのだ。かつて存在したことのあるいっさいの神々と悪魔は、ギリシャ人や中国人のものであろうと、あるいはズールカッファー族のものであろうと、すべてぼくたちの中にある。可能性として、願望として、方便として存在している。人類が死滅して、なんの教育も受けなかった中ぐらいの天分の子どもがたったひとり残ったとすれば、この子どもは諸物の過程を見つけ出し、神々、悪魔、天国、おきて、禁制、旧約と新約聖書など、なんでもみんなふたたび造ることができるだろう」
『デミアン』 p158  ヘルマン・ヘッセ
「それは偶然でもなければ、私の才能がもたらした結果でもない。この世界の、この宇宙のどこかに、「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき場所があって、私たちは自分たちも気がつかないうちに、その蔵に蓄えられた「知」を、新しい発想やひらめき、あるいは創造力としてそのつど引き出したり、汲み上げたりしているのではないか。それはいわば「叡智の井戸」だがその所有者は人間自身ではない。」
『生き方』 p32 稲盛和夫
"God creates, I do not create. I assemble and I steal everywhere to do it—from what I see, from what the dancers can do, from what others do.”
ジョージ・バランシン(New York City バレエ団創設者)


ここNoteで私も自分の好きな「組み合わせ」を表現してみたかったのです。
みなさんの持つ、現時点での創造性の解もぜひシェアしてほしいです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?