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イタリア人有名指揮者同士がスカラ座の楽屋で対決!?「観客入り」コンサート再開のイタリア・2人のリッカルド

イタリアでは、この5月から、昨年秋以来約半年ぶりに、コンサートやオペラの公演を「観客入り」で行うことができるようになった。
約半年間、コロナ感染者数が落ち着かない中、「無観客」ストリーミングコンサートが続いていたが、ワクチン接種が進みつつあるイタリアで、やっと「観客入り」の公演が政府から許可されたのだ。

様々な「観客入り」公演再開のニュースの中、筆者は、5月13日の各社の新聞で衝撃的な記事を目にした。それは、イタリア・ミラノのスカラ座で、イタリア人の有名指揮者リッカルド・ムーティー氏が指揮をした「観客入り」コンサートの後、スカラ座の音楽監督であるリッカルド・シャイー氏がムーティー氏の楽屋を訪ねた際の2人の間でのやり取りのことである。

(イタリア人の有名指揮者リッカルド・ムーティー氏がウィーンフィルハーモニー管弦楽団とスカラ座でコンサートをしたときの様子。国営テレビRaiが同氏の80歳の誕生日記念の放送をする際にこのコンサートの様子が放送されるそう。)

スカラ座の音楽監督であるリッカルド・シャイー氏と客演指揮者として、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団とコンサートをしたリッカルド・ムーティー氏。お気づきの通り、この2人の指揮者、なんと"リッカルド"という同じ名前である。


この出来事の真偽のほどは、実際のところ筆者には分かりかねるので、読者の皆さんの判断にお任せしたいのだが、今回の記事で詳しく取り上げ、両者の日本との関わりにも触れながらシェアしたいと思う。


イタリア人有名指揮者・2人のリッカルド

皆さんは、イタリア人の有名指揮者と言われて誰が頭に浮かぶであろうか?


今回の記事でシェアする、2人のリッカルドは、有名であると言って良いだろう。
1人目は、スカラ座の音楽総監督・リッカルド・シャイー氏(この記事では、リッカルドIとする)、2人目は、先日来日公演を果たしたリッカルド・ムーティー氏(この記事では、リッカルドIIとする)である。

今回の記事で取り上げる2人の指揮者、同じ名前ということもあってか、各社の新聞に大げさに取り上げられていた。



リッカルドI: リッカルド・シャイー氏

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(Wikipedia より)

まずは、リッカルド・シャイー氏について。

1953年、ミラノ生まれ。音楽学者・作曲家のルチアーノ・シャイーを父に持つ。ローマ、ペルージャ、ミラノ、キジアーナの各音楽院で学び、1972年には、指揮者・クラウディオ・アバドの元で、ミラノ・スカラ座管弦楽団の副指揮者を務めた。



1974年には、シカゴ・リリック・オペラでプッチーニの「蝶々夫人」にてアメリカデビューを果たし、1977年にサンフランシスコ歌劇場で「トゥーランドット」を指揮した際には、ルチアーノ・パヴァロッティモンセラート・カバリエと共演した。

1978年にはミラノ・スカラ座でヴェルディの『群盗』を指揮してスカラ座でデビューをすると同時に国際的な注目を集める。それ以降はロイヤル・オペラ・ハウス、バイエルン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場など世界の主要な歌劇場に客演している。



ベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)の首席指揮者、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者などを経て、2015年より、ミラノ・スカラ座の音楽総監督に就任した。



日本には、1984年に初来日して以来、多く来日しており、NHK音楽祭にも出演している。



リッカルドII: リッカルド・ムーティー
氏

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(Wikipedia より)

次は、リッカルド・ムーティー氏について。

1941年、ナポリ生まれ。当初ピアニストとして研鑽を積み、作曲家であったニーノ・ロータに招かれ、バーリ音楽院で学んだ。勉強に打ち込むも苦学しつつ、アルバイトに明け暮れたが、グィード・カンテッリ指揮者コンクールで優勝を果たし、イタリア国内の主要楽団を指揮する。

1969年にはフィレンツェ五月音楽祭歌劇場の音楽監督に抜擢された。



1971年、イギリス・ロンドンのニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1977年以降は「フィルハーモニア管弦楽団」)の首席指揮者に就任して以来、ロンドンでは多く演奏をしている。



1986年には、クラウディオ・アバドの後任として、ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任する。就任後は、スカラ座の強力な改革を推し進めた。EMIやSONYなどと数多くの録音を残し、長年にわたりスカラ座と関わったが、2005年、スカラ座の管弦楽団員と職員の投票により圧倒的多数で不信任を表明されてしまう。



スカラ座辞任後は、特定の監督ポストには就任せず、客演指揮者として活躍した。若手音楽家の育成にも注力する。



2010年には、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任。また、もっとも親密なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団では1973年以降ほぼ毎年指揮台に立ち、ニューイヤーコンサートでも何度も指揮をとっている。2011年7月28日、ザルツブルク音楽祭開催中に70歳を迎え、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団より名誉団員の称号を贈られた。




日本では、1975年にカール・ベームに帯同してのウィーン ・フィルとの初来日以来、たびたび来日している。2019年より、東京・春・音楽祭で「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」を開催。このアカデミーは、2015年にイタリアのラヴェンナで立ち上げられたプロジェクトで、才能ある若手音楽家に向けて開催され、世界中から参加者が集まる。




2人のリッカルド・スカラ座の楽屋で対決!?


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(5月13日付の新聞La Stampaの一部)


冒頭に書いた、2人のリッカルドによるこの事件は、5月11日のコンサート後に起こった。5月13日付の新聞La Stampaによると、スカラ座でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサートを終え、楽屋に戻ったリッカルド・ムーティー氏は、スカラ座の音楽監督でその日コンサートを観に来ていた、リッカルド・シャイー氏の訪問を受けた。



リッカルド・シャイー氏が賛辞の言葉を送るべく、リッカルド・ムーティー氏の楽屋(普段はシャイー氏の楽屋なのだが)を訪れたのにも関わらず、ムーティー氏は、「どなた様ですか?」と聞いたそうだ。

しかし、有名な指揮者同士、ましてやスカラ座の音楽監督のシャイー氏を、ムーティー氏が知らないわけがないのだ。



この挑発的な態度に筆者は、空いた口が塞がらなかった。新聞に書かれた情報のみなので、真偽のほどはわからないが、事実であれば衝撃的である。世界的な指揮者同士もこの様なやり取りををするものなのだろうか…。



終わりに

いかがだっただろうか?今回は、新聞に取り上げられていた2人の指揮者について、掘り下げてみた。
これまでの音楽界の歴史を見ていると、この様なトラブルは多くある様に感じるので、この出来事は氷山の一角かもしれない。

いずれにせよ、両者とも素晴らしい指揮者であることに変わりはないので、これからも追い続けて行きたいと思う。

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