スタイルよく見せたいという欲望

ちょっと、以前の私を振り返ってみます。

15年ほど前は、ヴィクトリアズ・シークレットのようなモデルのスタイルに本気で憧れていました。ジゼル・ブンチェンアレッサンドラ・アンブロジオが大好きでした。今はミランダ・カーも大好きです。
175cm前後の身長で、3サイズは私とほとんど変わらないスーパーモデルに憧れていたんです。

実際の私は、恥ずかしながら155cmの身長にスーパーモデルと同じくらいの3サイズですから、憧れたところで到底及ばないんです。努力でどうにかなるものではないですよね。
スーパーモデルでなくても雑誌に登場しているモデルは、紙面に出るために身体を整えているんですから、雑誌に載っているスタイリングをしたとしても、同じようにはいきません。なので、読者モデルとして紙面に登場している方を身近に感じ、身近な憧れとして応援したり参考にしたりするんですよね。学生の頃は「JJ」愛読者だったので、憧れの読者モデルがいて、同じような服を買いに行ったものです。

真似をしても真似しても、身近なはずの読者モデルにも近づかない。その頃は5kgの増減はしょっちゅうで、痩せているときは読者モデルと同じくらいの脂肪量なはずなのに、どうも違う。
同じようなコーディネートなのに、私が醸し出す雰囲気や印象は読者モデルとは何か違う。
「JJ」を隅から隅まで毎月熟読し、真似をして、雑誌に載っている服を全身でそろえてみた時期もありました。そうすると結構な額のコーディネートになり、学生には重い投資でしたが、それでも求めている雰囲気には辿りつかないのです。
自分が憧れている読者モデルに近づきたい。あんなライフスタイルがいいと思いながら自分スタイル迷子を続けました。

自分スタイル迷子をしている頃は、セレクトショップが流行っていて、そのブランドの平均1点単価が12,000円くらいのお店でも、高級なインポートブランドが販売されている頃でした。その時期に今の基礎となる、とても大切な経験をしたんです。素材とパターン(型紙)の違いでどれだけ自分のスタイルを良く見せてくれるかを知ったのです。

そして、スタイルをよく見せてくれるだけでなく、一番大切な事に気付きました。それは、素材、パターンの素晴らしい服を着こなせている時、周りの反応が全く違ってくることに気付いたんです。

レストランに行ったら上席に通される。知人のウケもいい。人を紹介されたり、そういう場へのお誘いも増える。いいこと尽くしでした。

その頃から、自分の体型のスタイルはさほど気にならなくなりました。なぜなら、素晴らしいパターンの服は、身に纏うだけで自分の体型をより良く見せてくれるからです。背筋はシャキっとし、ないクビレをあるようにも見せてくれ、ヒップも上がってるように見せてくれる服があるからです。

それと同時に、読者モデルに憧れる事はなくなりました。自分自身を表現することは憧れの読者モデルを真似することではなく、自分がこんな対応をして欲しい、こんな人になりたいという目的を満たしてくれる服を着ればいいと知ったからでした。

もちろん、健康的な身体を手に入れたいので、今もスタイルは崩しすぎないようには気をつけますが、服のパワーをもらって自分のスタイルをより良く見せる。さらには、自分自身の印象まで服でコントロールが出来ると気付いたのがこの頃です。

それから、今も変わらず服を選ぶ時に考えるのが、この服を着ている時に人からどう思われたいのか。それが、今の自分のライフステージに合っているのか。それを着ることで思い通りの印象が残せるか。ということです。
それを基に、「こんな店に行くならこんな服」シリーズを書いています。

私のスタイルを良く見せたいという欲望は、服の力を借りると決めてから満たされるようになり、高級なものだけに頼らずとも、プチプラでもスタイルよく見せることが出来るものがあり、それを探すという新しい楽しみに変わりました。

もちろん、今でも高級なものでないと醸し出せない質感、ボディラインや高級ブランドが持つパワーが欲しい時は買いに行きます。
それは、あくまで、自分の目標とする「こんな人になりたい」を実現するのに必要な場合です。



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