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アメリカのドラッグ問題

2019年8月26日

ニューヨークに戻って何日か経ったときに気がついたことがある。白昼、道を歩いていて、明らかにドラッグ中毒者と思われる人たちが増えたような気がしたのである。それも、ちょっと前まで普通に生活していたことを思わせるようなタイプの人たちだ。

調べてみると、意外にも最新のデータによると、オーヴァードース(ドラッグの過剰摂取)による死は、今、久しぶりに減少傾向にあるのだという。目に見えて多いような気がしたのは夏だからだろうか。

これまでも日記にたびたびオピオイド・クライシス、そしてそこから派生したヘロイン・クライシスについて書いてきたけれども、最近、立て続けに法廷でドラッグメーカーに対する賠償命令が出ている。今日も、オピオイドの打撃をもろにくらったオクラホマで、裁判所がジョンソン&ジョンソンにおしりぺんぺんな判決を出した。90年代後半に始まり、この何年間かでものすごく苛烈になったオピオイド問題に、ようやく何らかのおとしまえが付けられ始めた感がある。

ところで、ポルトガルに取材に行きたいと思っている。ポルトガルは、2001年に、ドラッグというものをすべて非犯罪化した。10人に1人がヘロイン中毒だったという状況から。そして、ポルトガルは、注射針によるHIV感染やオーバードースによる死亡件数を劇的に減らすことに成功した。今、ドラッグ問題が深刻な場所では、依存症には懲罰ではなく、治療で対処するべきだとの考え方が広まりつつある。シアトルも、そちらに舵を切ったようだ。

これはとても画期的なことである。取材に行きたいけれど、この取材をさせてくれる媒体があるかどうかはわからない(どこかあれば連絡ください)。日本では少なくとも、ドラッグは、一部の特殊な人(芸能人など)が誘惑に負けて手を染めてしまうもので、人口の総数から考えると大した社会問題ではないように見える。

一方で、アルコール問題は、ほとんど問題にならない。先進国で、あんなふうに、大の大人が酩酊して転がっているような国はほかにないよ。

備忘録:シアトルは、ドラッグ戦争をいかにしてやめるかを解明した(The New York Times)

2018年に何を書いていたか、My Little New York Timesをめくってみた。

2018年1月30日の日記

最近、かつて遊んでいた男の子が、ヘロインにはまっていると耳にした。アメリカにきて初めて住んだ街にはたくさんヘロイン中毒がいた。あの頃、ヘロインというものは、生きることに望みを失ってしまった人たちが手を染めるものだと思っていた。最近、病気で大好きな人を見送った身としては、生きたいのに命を奪われる人がいるのに甘えている、と思いかける。が、彼らに腹を立てることに意味はない。 今、ヘロインが再びアメリカの社会の隅々にまで入り込んでいる、らしい。少なくとも日常的に、ニュースなどで「heroin epidemic(ヘロインの蔓延)」という言葉を目にするようになったし、HBOからNetflixまでヘロイン問題を題材にしたドキュメンタリーで溢れている。今のヘロイン中毒問題がかつてと違うのは、ヘロインの中毒の始まりが、処方箋薬という合法ドラッグにあることが多い点だ。ヘロイン中毒に陥る人の4人にひとりは、処方箋の痛み止めを処方され、中毒になり、痛み止めを手に入れられなくなって、そこからヘロインに走る、という2000年代に登場した構図がある。ヴァイコディンやオキシコディンといった痛み止めドラッグに入っているオピオイドという成分は中毒性が高く、依存症に陥る確率が高い。私も骨折時にいとも気軽に処方されて、頭がぼおっとして何も考えることができない自分が怖くなって、医者の反対を無視して、早い段階でやめた。あとでいろいろ読み、やめてよかったと胸をなでおろしたものだ。そうやってかつてはいとも簡単に処方されていた痛み止めに中毒になった人々の数は2015年のデータで200万人、ヘロイン中毒者は60万人近い。2016年に出た死者の数は64000人。よく陰謀論の世界で「政府は人口調整をしようとしている」というものがあるけれど、政府が認可した合法のドラッグのおかげでこれだけの人が中毒に苦しんでいるとしたら、陰謀論だと笑ってもいられない。昨晩のトランプ大統領による年頭教書は聞く気にならなかったけれど、オピオイドの蔓延問題が上がったのは新聞で確認した。さすがの政府も、ことの深刻さに気がついたのだろう。が、オピオイド問題への関心を高めるために紫のリボンを着用して年頭教書に出席した議員たちからは、早速「口ばっかり」と批判を浴びている。


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