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六波羅蜜寺

また近くのお寺を紹介したいと思います。今自分にも時間があってお寺に行く人が少なくて、こんな機会にお客様にもお勧めできるようにと、時間があるときに色々と行ってみたりしています。未来のために。

今日は教科書にも写真で出ていた有名な平清盛像や空也上人像がある有名な六波羅蜜寺を紹介したいと思います。六道珍皇寺や幽霊子育て飴のお店のすぐ傍にあります。

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六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所です。当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたといわれています。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与されています)もちろん、悪病退散お願いしてきました。

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ここには平清盛の像や塚があるのですが、(教科書で見たものを実物で見るのは迫力あります)平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだそうです。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れました。 明治以降荒廃していましたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせています。

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空也上人が鞍馬山に閑居後、常々心の友としてその鳴声を愛した鹿を、定盛なる猟師が射殺したと知り、大変悲しんでその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を杖頭につけて生涯我が身から離さなかったといいます。定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、瓢をたたき、法曲を唱し、寒い夜もいとわず京中を巡行して衆生の能化につとめました。定盛は上人の遺風を伝えて茶筌を作り、これを世に広め、子孫は有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて市中を徘徊しました。これが今六斎念仏として伝わっています。六波羅蜜寺の空也踊躍念仏はさらにその源流だそうです。そんなことを想いながら宝物殿にある空也上人像を見ると、その姿が理解できて感慨深いものがあります。ぜひ見に行かれることお勧めです。

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奥には銭洗い弁財天が祀られていて小銭を洗うざるが置いてあり、金運アップにもいいパワースポットとなっています。おみくじも弁財天と白牛が。

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ここには他にも御朱印を頂くところに四柱推命の占いを見てくださるのがあるので、昔からよく当たると占い好きな人にはお勧めです。書ききれていませんが、長い歴史の中にあったお寺なので説明より感じることかもしれないなあと改めて思いました。7/30

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