フリーダ・カーロの日記の表紙にあるJ.K.
日記の表紙
フリーダ・カ―ロの日記は、人生の晩年期である1944年、彼女が36歳または37歳の頃から10年間にわたって書かれたものです。この日記の表紙には「J・K」というイニシャルが金の文字で刻まれています。イギリスの詩人ジョン・キーツのものだったと言われています。フリーダの友人が、ニューヨークの稀覯本屋でこの日記を手に入れ、フリーダの病気と孤独の慰めになればと思いで贈ったのだそうです。(『フリーダ・カーロ』ヘイデン・エレーラ著、258 頁)
ジョン・キーツは、イギリスのロマン派の詩人(1795-1821)。両親を早くに亡くし、苦学の末、医師免許を取得するも医業につかず、詩人として生きる道を選びます。25歳という短命ながらも、イギリス詩上に残る詩の数々を残しました。
いっぽう、フリーダは医師を志しながらも事故を機に断念。1925年の18歳の時、乗車していたバスに路面電車が衝突するという悲劇的な事故に遭遇し、脊髄、鎖骨、助骨、骨盤を骨折するという重傷を負います。以後、35回にわたる手術と、28個のコルセットによって、彼女は絶えず背中と右足の痛みに苛まれることになるのです。("El diario de Frida Kahlo", Harry N. Abrams/Vaca Independiente, 1995)
フリーダは療養中に絵を描き始め「自分自身を描く」ことが生涯のテーマとなります。バスの事故を機に医師の夢は絶たれ、画家になる道を選んだのです。47歳で亡くなるまでに約200点の作品(大半が自画像)を世に残しました。
医業につくことをせず詩人となったキーツと、医業につく夢を絶たれ画家になったフリーダ。そして芸術の道へ進んだふたりは、歴史に名を残す人物となったのでした。
キーツが、遺言により墓石に残した言葉と、フリーダが最後に日記に残した言葉には、どちらも深い感動につつまれます。
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