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誰が枠配分予算を殺したか

「あなたが自由裁量で予算編成できる枠を配分します」
「たったこれっぽっちで自由裁量?枠に収まらなかった分は自分で説明責任を負うの?それって責任の押し付けなんじゃない?」
#ジブリで学ぶ自治体財政

先日より絶賛推奨中の枠配分予算ですが,この仕組みは私が発案したものではありません。
正確なことはわかりまんが,東京都足立区の現教育長定野司さんが財政課長だったとき,2002年度(平成14年度)から始めた「包括予算制度」がその走りではないかと記憶しています。
福岡市では,当時先行していた横浜市の事例を参考に2005年度(平成17年度)当初予算編成から導入し,私が財政課長になって最初の予算編成となる2013年度(平成25年度)当初予算編成においてその対象を拡大し,4年間の財政課長時代に微修正を繰り返しながら現在のスタイルを確立しました。

その経験を踏まえて,今「枠配分予算っていいね!」と喧伝しているわけですが,全国的に見れば足立区での導入からもう20年近く経つわけで,全国の自治体で導入が検討され,実際に導入された自治体も多数あります。
そしてその中には,うまくいかなかったので枠配分予算を止め,財政課が一件ずつ査定する「一件査定」に逆戻りしている自治体もあります。
それぞれの自治体でうまくいかなかったのはなぜなのでしょうか。
その大きな理由は二つ,「現場の財政課依存」と「財政課の現場不信」です。

「現場の財政課依存」とは,配分された枠の範囲内で予算編成をしなければならないのに自分たちの裁量で枠に収めることができず「あとは財政課でお願いします」とさじを投げてしまう,あるいは配分された枠が少ないことを理由に「財政課からの配分が少ないから必要な事業ができない」と市民や議会に言いつけてしまうなど,現場に与えられた責任と権限を現場がうまく行使できないことを指します。
しかし,配分される枠が少ないのは自治体全体で配分できる資源が限られているということであり,自治体のすべての所属が負うべき外的要因であって財政課の責任ではありません。
配分された枠が少ないと現場ではよく「これでは昨年と同じ仕事ができない」と言いますが,厳しい言い方をすれば使える財源が減っているのになぜ同じ仕事ができると思っているのか,と言いたくもなります。
法令で定められたこと,毎年経常的に行っているルーティンワークといえども,限られた財源の範囲内で予算を編成し事務を遂行しなければならないことは明らかで,必要な支出額を賄う財源が保証されているわけではないことを現場は正しく理解する必要があります。

また,配分された枠が厳しいからと言ってその中での優先順位,事業費削減等の見直しを自分たちの裁量でできないと匙を投げるのは与えられた責任の放棄ですよね。
まあ,個々の事業の担当者レベルでは自分の事業がかわいいので止むを得ませんが,複数の事業を束ね,その総合的な推進で施策の効果を得ることがミッションである部長や局長がそんなこと言っていいのでしょうか。
現場で厳しい判断をしたくないから,自分の部下からそっぽを向かれたくないから,自分が市民批判の矢面に立ちたくないから,枠配分予算制度の期待する趣旨から目を背け,判断から逃げて,財政課に責任を擦り付けてしまう。
現場責任者のこんな逃げ口上を見せつけられ,そんな現場に責任と権限を委ねることはできないと判断して,いったん現場に委譲した権限を再び財政課に中央集権化する,そんな自治体が数多くあったようです。

逆に「財政課の現場不信」として悲しいのは前にも書きましたが「配分された枠の範囲内で組んだ予算案を財政課に査定されて現場のやる気がなくなった」というやつ。これ,本当にダメです。絶対にダメ。
何度も書いていますが,枠配分予算の真骨頂は「信じて委ねる」。
現場は財政課から信用されていないと感じた瞬間に,委ねられた権限を「ただやらされてるだけ」と感じ,その責任を放棄します。
後から査定されることがわかっているなら「だったらお前が最初からやれ」というだけの話です。
だからシーリング(要求上限額)方式はうまくいかないし,現場の徒労感がハンパないんですよね。

枠配分予算は財政課の下請けを現場にさせることではありません。
互いの相互理解と信頼関係に基づいた役割分担と連携です。
単なる下請けでないことはわかっていながらもそうなってしまう,あるいはそうであると現場から受け止められてしまって機能不全に陥る,それは枠配分予算制度の死を意味します。
そうならないためには,制度を創設し運用していく財政課の気概が肝要です。

「現場の財政課依存」の最大の原因は財源不足による現場のあきらめ。
これを起こさせないためには,自治体全体での財源不足の状況を事実として各現場の隅々まで届け,その前提で各現場の裁量を信じて委ねているのが枠配分予算制度なのだという理解を浸透させることが第一であり,その責任は制度担当である財政課が負っています。

枠としての財源配分に当たっては,財源不足の解消をすべて各現場に担わせるのではなく,事業費削減,財源捻出のノルマは現場が請け負うことが可能な額にとどめ,それでもなお不足する部分は義務的経費の精査,基金や起債等の財源対策,年度間調整等の全体的な調整などで財政課が財源確保に関する策を講じ,現場と同様あるいはそれ以上に汗をかかなければならないことは言うまでもありませんが,枠配分により財政課が個々の事業費査定に入り込む必要がなくなった分,全体調整に手間暇をかけるのが当たり前だと私は思っています。

また,財政課に厳しい判断の責任を委ね,現場判断から逃げようとする部長,局長については,組織として幹部職員像をどう変え,定着させていくかという話。
幹部として組織の自律経営を行うことができるかどうか,自らの事業領域の拡大が幹部の評価につながるという前時代的な評価になっていないか,という視点が全市的な評価軸となるように,枠配分予算制度導入にあたり財政課できちんとレールを敷く必要があります。

「財政課の現場不信」はもとより財政課側の腹ひとつですし,「現場の財政課依存」も財政課の制度設計とアナウンス次第。そう考えていくと,枠配分予算制度を導入するには財政課が汗をかかねばならず,財政課にそのモチベーションやその前提として「このままではだめだ!」という危機感がなくてはいけないのですが,全国の自治体の財政課長,あるいは財政課の職員の皆さんはこの記事をどのように読んでいるのでしょうね。

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