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互いの存在を許しあう

この人も同じバスを待ってるのかな
いや,そもそも「人」なのかな
この「人」から見れば自分が変なのかも
一緒にバス待ってるんだから変だと思っちゃダメ
#ジブリで学ぶ自治体財政

前回の投稿では,コロナ禍という未曽有の災厄を経験し、将来に向かって危機意識を共有できる今こそ,国や自治体と市民、議会、あるいは市民同士で十分に情報共有と意思疎通を図ることができる「対話」の場づくり、苦渋の選択を乗り越えることができる意思疎通の環境整備が求められる,と書きました。

しかし,そんなことは本当に可能なのでしょうか。
頭によぎるのは痛みを伴う行政側の施策提案に対して市民が反発する情景。
私たち公務員はこのような場面に立ち会うこともしばしばあり,中にはとても対話どころではないと感じるほどの激しい対立に遭遇することもあります。
国や自治体が市民が十分に情報共有と意思疎通を図ることができる「対話」の場づくりなんて絵空事だという人もいるかもしれません。
また,このような意見対立の局面でないにせよ,例えば福岡市で160万人の市民と市長や私たち福岡市職員が一人一人と実際に対話し,意思疎通や相互理解を図ることは時間や空間の制約から現実には不可能です。
私の提唱する,国や自治体と市民、議会、あるいは市民同士で十分に情報共有と意思疎通を図ることができる「対話」の場づくりは実現可能なのでしょうか。

以前の投稿で、議員は議論の場,意思決定の場に居合わせることができない多くの有権者にとって、議員が議論していることがあたかも自分が議論しているかのように感じられる、自分の分身の役割を果たしてくれる有権者の分身、「アバター」であるという考えを披露したことがあります。

私たち公務員もまた,日々職場で議論や対話を重ね、庁内での合意形成を図り、方針を決定し、その方針に従って日々の事務を遂行していく中で、多様な意見を持つ市民の利害、意見の代弁者として、市民同士の対話や議論を代理している,というのが私の考えです。

ここで述べているように,国も自治体も多様な国民,市民の立場や意見を代弁し調整する主体でしかなく、自らの独立した意志を持つ主体ではありません。
国や自治体が主張する意見や立場はすべて国民,市民の誰かの意見や立場を集約し代弁しているものであり、国や自治体と国民,市民との「対話」というのは多様な意見を持つ多種多彩な国民同士,市民同士の情報共有、相互理解のためのものなのです。
私が提唱する,国や自治体と国民,市民との「対話」の場づくりとは,間接民主主義を採り,官僚組織が政策形成とその実施を担う現代社会においては,国民,市民全員が一堂に会して,あるいは個別に直接対話し,議論できるわけではないという現実に即して議員や公務員が国民,市民を代理して対話し,議論しているという構造を理解し,その構造の中で社会全体として「対話的な関係性」を築くために,それぞれが担うべき役割を果たすことを意味しています。
では,社会全体として「対話的な関係性」を築くとはどういうことなのでしょう。

「対話」を構成する二つの要素は「語る」と「聴く」。
自分自身の立場の鎧を脱ぎ、心を開いて自分の思いを「語る」ことと、先入観を持たず否定も断定もしないで相手の思いを「聴く」ことから成り立っています。
「語る」は「開く」、「聴く」は「許す」ともとらえられます。
「開く」は自分の持っている情報や内心を開示すること。
「許す」は相手の立場、見解をありのまま受け入れること。
直接の対話によらず,組織の中で,あるいは行政と市民との間で「語る」「聴く」という「対話的な関係性」を築くことについては,私が財政課長時代に枠予算制度を運用するなかで得た経験を以前紹介しています。

意思決定に向かう対話や議論の場にすべての国民,市民が居合わせることはできませんので,我々公務員や選挙で選ばれた議員が代理することになります。
この代理による対話,議論において,国民,市民の置かれた多様な立場,意見を尊重しつつその調和を図り,そこで共有できた目標に基づき議論を進め,意思決定をおこなっていく。
その過程が国民,市民に伝われば,代理を介すかたちであっても,あたかも国民,市民同士が直接対話し,議論し,それぞれの立場や意見が尊重されて合意形成に至ったと感じることができるのではないか。
たとえ自分の思う結論と違った選択になったとしても,その途上で誰かが自分の立場を代弁し,その意見を尊重し配慮したという過程があれば結論に納得感を持てるのではないか。
また,当事者同士であれば意見が対立し対峙してしまうような困難な課題に対しても,代理による対話,議論の過程を可視化することで,感情的な対立を避けながら多くの人が承服できる結論に至ることができるのではないか。
国民,市民一人ひとりが置かれた多様な立場や見解を互いに許容し尊重しあえる対等な関係こそが社会全体の「対話的な関係性」の基礎であり,直接対話することができなくてもそのことを体感でき,自分自身が尊重されていると感じることができる世の中,対話の構成要素である「語る」=「開く」,「聴く」=「許す」ことが自然に行われている世の中をつくることこそが,国や自治体,議員や我々公務員が果たすべき役割だと私は思うのです。

このような社会の実現に向けては,対話の場に身を置く議員や我々公務員が「対話」の本質を理解し,国民,市民を代理する自分自身が多様な立場や見解があることを把握し,そのそれぞれを先入観なく許容し,尊重し,対話の俎上に乗せる姿勢そのものについて正しく理解し,そのように振る舞えなければいけません。
また当然に,対話的な関係性を築くために必要な「対話力」も求められますし,対話の場を安全に運営するファシリテーションのスキルも必要とされます。
国や自治体は,そういった能力を組織として職員に身に着けさせるとともに,実際に組織の内外で対話的な関係性のなかで意見を交わし情報を共有する場,機会や環境を作り,一方でそのような組織運営を基本としていることを国民,市民に伝え,そこで代理して行われる対話,議論を国民,市民が信頼感,安心感を以て見守ることができるよう,メディアとも連携しながら情報を発信し,組織として国民,市民に「開く」ことを心掛けねばなりません。

対話的な関係性の中で互いの存在を許容し,その主張に耳を傾け,理解しようと努力するなかで,対立を乗り越えて目指すべき目標の共有ができる社会。
そんな社会を実現するために,私たち国民,市民一人ひとりに今最も求められているのは,「許す」,すなわち相手の立場、見解をありのまま受け入れること,先入観を持たず否定も断定もしないで相手の思いを「聴く」ことだと思います。
国が,自治体が,国民,市民の声を聴こうとしないのではありません。
私たち国民,市民が,自分と違う立場,価値観の声を聴こうとしていないのです。
そういえば今度選ばれたリーダーの特技は「人の話を聴くこと」だそうです。
政治的な意見を述べるつもりはありませんが,この言葉に言霊が宿り,「聴く力」が大事にされる世の中,誰がどんな立場,見解を述べてもそれが安全に許容され,「聴きあえる」世の中に向かう力になってほしいと思います。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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