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対話の鍵を握るのは

最近の「対話」に関する投稿に関してコメントをいただきました。
「雑談」→「愚痴」→「対話」→「議論」といったプロセスは,組織の中での職員同士のコミュニケーションとしてはわかるが,地方自治体と住民との関係性においてはどうすればよいか,というお尋ねです。
確かに住民との対話と言っても福岡市でいえば160万人もの住民がいるわけですから,そのお一人お一人と自治体が直接対話をするということ自体は不可能なのですが,個人同士の「対話」の要素をきちんと取り入れたコミュニケーションをいかにとるか,という話になると思います。

「対話」の成立に必要となる重要な構成要素は「開く」と「許す」です。
「開く」は自分の持っている情報や内心を開示すること。
「許す」は相手の立場,見解をありのままに受け入れること。
いずれも,自分一人がそうするのではなく,その場にいるすべての人が互いにそうするということですので,相手方との信頼関係に基づく「心理的安全性」が担保されていなければいけません。
また,「対話」は議論の前に置かれるものであって議論そのものではない,という前提も共通の理解としておかなければいけません。
しかし,「対話」に慣れていない人にとってはこの構成要素のいずれもが非常に高いハードルになり,その場への参加意欲を持たない,あるいは参加しても「対話」にならない,ということになってしまいます。
この理想と現実のギャップを埋める鍵が「職員」と「議会」だと思うのです。

職員が大事なのは言わずもがなですよね。
地方自治体は,異なる立場,意見を持つ住民の利害を調整し,実施すべき一つの案をとりまとめ,それを政策として実施することが主たる業務ですが,その意思決定プロセスそのものを設計し,実行する権限を持っているのは職員です。
現状を把握する,案を作る,関係者の意見を聴取し調整する,議論をまとめ意思決定する,それぞれの段階でどのようなメンバーでどのような対話や議論を行うか,その場づくりを設計することはもちろん,それぞれの場そのものの運営,コーディネートやファシリテーションを担うこともできます。
この意思決定プロセスやそれぞれの場づくりについては,決めるべき事案の重要性や緊急性,またその事案に対して市民が持つ意見の幅の大小によって個別具体に設計することが必要であり,その際に「十分に対話し,議論することができた」と市民が感じることができる場とするためには,対話の重要性はもちろん,どうすれば対話がうまくいくかというノウハウも職員自身が知っておく必要があると思うわけです。

なので,まずは職員同士の対話で十分にその腕を磨いてほしいと思っています。
そもそも同じ組織の一員である職員同士で対話ができなくて,その外側にいる,立場や考え方の違う市民との対話や市民同士の対話の場のコーディネートやファシリテーションなどできるはずがありません。
私が,これまでの投稿で職員同士,同じ組織内での職場同士のコミュニケーションを中心に話を進めてきたのはそういう理由からです。

もう一つ大事なのは「議会」です。
この「議会」と「対話」という問題は,よく行政当局,地方自治体職員と議会や個々の議員との関係性,あるいは議会の中での議員同士の対話や議論のあり方として論じられることが多いのですが,ここでは,市民と行政の対話や市民同士の対話を進めるうえで,間接民主主義の装置として置かれている議会がどのような役割を果たすべきなのか,という点で意見を述べたいと思います。

議会は何のために置かれているのか。
それは,市民の人数が増え,直接話し合って物事を決めていくことが難しいので,自分の代わりとなる者をあらかじめ選び,その者に意思決定のプロセスを代理させるため。
そうすることで意思決定の場に自分の意見を反映することができる,というのがよく言われている議会の機能ですが,実際には数年に一度の選挙で選ぶ議員が,それぞれの政策決定において常に自分の意見と等しい行動をとるか,というと必ずしもそうではありません。
そのために政党があり,マニフェストがあるのだという方もおられますが,最近,私は少し別の見方をしています。
それは,議員は有権者の「アバター」であるという考えです。

RPGの世界ではなじみの深い「アバター」。
仮想世界で生活するキャラクターを自分で選び(あるいは創作し),そのアイコンに自分の思いを投影して,その仮想世界での生活をさせ,冒険や交流などの活躍をさせる,この自分の分身となるキャラクターを「アバター」と言います。
アバターの活動は自分でコントロールすることもできますが,放置しておくとそのアバターのもともとの設定に基づいて勝手にその仮想世界での営みを進めてくれるというものも増えています。
私は,間接民主主義における有権者と議員との関係ってまさにこの関係なのではないかなあと思うのです。
アバターである議員が自分の分身として,どれだけ議論やその前段の「対話」をしているか,それを有権者がどれだけ知りうるか,その密度,解像度が濃ければ濃いほど,自ら「対話」の場に足を運ぶことができない(あるいは運ばない)市民にとっての「対話」の疑似体験になるのではないか。
そんな仮説を今,おぼろげに考えています。

議会は議論の場,物事を最終的に決定する場ですが,その場に居合わせることができない多くの有権者にとっては,議員が議論していることがあたかも自分が議論しているかのように感じられる,自分の分身の役割を果たしてくれれば。
あるいは,議論の前の対話の段階から,あるいはその前の雑談や愚痴の段階から,議員の活動を自分の分身として見守ることができ,そのアバターを通じて他の立場,意見を持つ方々と意思疎通することができる存在であってくれれば。
そうすれば,私たち有権者が自ら対話や議論の場に臨めなかったとしても,そこにいたかのように,自分が「対話」し,互いに情報を共有し,立場を超えて理解しあえたかのように感じることができ,その結果,議員同士での議論で導かれた結論にも当事者意識や納得感を持つことにつながるのではないでしょうか。

市民と行政,あるいは市民同士の対話を進めるのは,直接対話する場を創る方法も当然ありますが,議員を有権者の代わりに対話や議論を深める「アバター」として認識し,その機能を最大化し活用していく,そんな方法もあると思うのですが,皆さんいかがお考えでしょうか。

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