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政治なるものへの抗い

公平公正が身上なのに
その魂を捨ててしまえって
政治のためなら仕方ないの
それは本当に市民のためなの
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
先日の記事で、兵庫県知事の“パワハラ疑い”の件に関して、自治体の首長がパワハラを行うことが通常のパワハラよりも問題をはらむ懸念をお示ししました。

首長は様々な理由で組織に対して号令をかけますが、有権者の信任を背景に自らの主張の正当性を信じて疑わない首長は時としてその指示、号令に必要以上の「力」を籠め、部下職員がその「力」を強く感じることがあります。
加えて、首長の号令を実現するために躍起になる幹部職員が現れ、「市民のために」「首長の意向は市民の声」を錦の御旗として首長の意向に沿うなかで、公務員は市民の僕(しもべ)として市民福祉の向上のために尽力するのが使命なのだから、そのためなら少々過重な負担を課してもいいという考えが横行し、首長あるいは首長周辺の幹部職員がパワハラ行為を行ってもそれが黙認される組織になってしまう、との懸念です。
ひとたび首長パワハラがはじまると「選挙で選ばれた首長のいうことだから」と職員の思考が停止し、「市民のために」というお題目のもとで上位の者だけの意向で意思決定が行われ、正常な自治体運営ができなくなってしまうのです。
 
私はこの懸念を、政治的背景を持ったパワーハラスメントの一般論としてお示ししましたが、兵庫県で今起こっていることは、まさに私が懸念していることではないかと心配しています。

 一連の問題はパワハラというワードが強すぎて知事の個人的な資質そのものに焦点を当てた報道になっていますが、告発者の真の意思はパワハラ行為そのものではなくそのことによって県政が歪められてしまったことへの抗議ではないかと感じています。
産経新聞の記事で引用されている、告発者が指摘している7つの項目うち3つは投票の依頼、協力という公務員が関与してはならない政治的行為そのものであり、他にも知事の政治的地位を押し上げるために行われた不正の疑いのある行為が挙げられるなど、県政として本来ならばやるべきではなかったことが知事の命令で行われたとの指摘です。
それは単にハラスメント行為が職員への人権侵害であるという問題だけでなくそういう歪な関係性の中で出された業務命令に起因して不適切な行政運営が行われたのではないかという視点で問題視すべきなのではないでしょうか。
 
単なるハラスメントならいざ知らず、不適切な業務命令だったとすればそれは知事ひとりで実行できる行為ではなく知事の命令を組織として受け止め、対応した官房部門や事務方も一定の責任を負わなければなりません。
先日お辞めになった副知事もその片棒を担いでいるでしょうし、現職にもたくさんいるはずです。
告発者もそのことをわかっていて、政治的な力を背景にした行政運営の歪みについて知り、それをそのまま語ることが憚られたため、知事のパワハラという視点での告発となったのではないでしょうか。
今回の事案での知事周辺、特に人事課周りの動きがあまりにも拙速だったのが気になっていましたが、ひょっとしてこういう暗部について明るみになってはまずいとの思いから客観的な調査に付すことなく「嘘八百」と断定して早期の幕引きを図ったということではないかとすら勘ぐってしまいます。
報道によれば、告発者が使っていた職場のPCは副知事と人事課長が押収しに来たそうですが、そんな地位の高い人がわざわざそんなことをしに本庁から西播磨まで来るなんて異常なことだと思いましたが、きっと理由があるのでしょう。
 
現職の地方自治体職員のしかも幹部クラスが知事の不正を告発しその後死亡するに至ったこの事件で告発者の怒りはどこに向いていたのか、私たちは冷静に状況を把握し、単にトップが癇癪持ちで部下職員にきつく当たったという程度の話ではないとの認識で丁寧に対応しなければならないと思います。
「自ら公約で掲げた政策を推進したい」「市民の求めることを実現したい」という政治的価値観は時に「見栄えの良い成果を出したい」「ライバルを蹴落としたい」という邪な考えに至ることがあり、また「次の選挙で勝ちたい」「確実に支持を広げたい」という政治的思惑も絡まって、政治的に中立で公平公正な職務遂行が求められる公務員に、本来命じてはならない指示をしてしまうことがあります。
単なる首長のワガママではなくそこに政治的な意図(パフォーマンス、マウント、政敵への攻撃など)がある場合には、政治的に無色であるはずの我々公務員が泥を被ることを暗に強制され、歯向かうと「お前は俺の政治家生命を奪う気か」と恫喝されることだってあるのです。
そんな自治体運営のリスクについて、私は改めて警鐘を鳴らしたいと思います。
 
今回の兵庫県での事案は、政治家がトップに立つすべての自治体で同じことが起こりうるという危機感を持ってそのメカニズムをきちんと理解しその抑止の手立てを講じなければ第二、第三の被害者が兵庫県以外の別の場所で生まれるかもしれず、今この瞬間にも既にそのことで苦しんでいる職員、職場があるかもしれないのです。
政治的な背景から行われるパワーハラスメントは行政運営そのものを歪める可能性があるという影響力からしても、また「政治=市民の期待」と受け止めざるを得ず一介の公務員が抵抗し難いという構造も含めて、他のパワハラとは次元が違うと感じますし、その問題の本質について、私たち公務員も自覚し、また広く役所の外の皆さんにも知っておいていただきたいと思います。
 
私はこの知事の個人的資質を責め、この職を辞めさせて終わりではないと思っていますが、マスコミや議会などの論調は知事辞任一辺倒の論調です。
今、この問題の真相究明のために設置が決定している100条委員会は自治体の事務に関する議会の調査権行使のために設置されるものであり、議会がその気になれば県庁内部の膿を出すことも可能ですが、知事の個人的資質を糺して知事の首をすげ替えることに注力し、首を取ったら終わりということになるのではないかと危惧しています。
そうなれば政治的な力に抗うことができない組織は温存され、次の知事の選ばれ方やその政治的バランス、選ばれた知事のパーソナリティ次第ではまた同じことが繰り返されるでしょう。
それを阻止できるかどうかは今回県民が知事の首を取ることを目指すのではなく、知事の政治的な要請に抵抗することができなかった県庁内の膿を出すことを求め、議会がそれに応えることしかないと思います。
 
県民や議会が県庁の役人に対して自浄を求めるという外圧がなくても、公務員たるもの、誰から言われなくとも組織内の悪弊を是正できなくてはいけないと思いますがそれができていないのは、コンプライアンスが組織の経営方針の上位に位置付けられていないことから「知事の言うことは政治的背景を考えれば従う以外の選択肢はない」と職員が考えてしまう組織風土があるからでしょう。
そんな状況を打破し、経営方針の軽重を変えることができるのは有権者しかいないというのが私の考えです。
知事を変えればよいというのは短絡的で、そのあとも県庁が自浄していけるかを厳しく監視しなければまた同じことが繰り返されます
これを先導する知事を新たに選ぶのも県民ですし、不適切な行政運営で不利益を被るのも県民ですから、県民はこの問題に無関心ではいられませんし、自治体の経営者として責任を持って監視していくことが必要だと私は思っています。

この闇が晴れ、兵庫県庁の皆さんが安心して働ける日が再び訪れますように。
兵庫県民の皆さんが行政を信頼して安心して暮らせる日が再び訪れますように。
そして、同じようなことが他の自治体で起こり職員や市民が苦しむようなことが繰り返されませんように。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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