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やるべきことをやるだけ

いい走りだな これはいい記録が出るんじゃないか
目標タイムは何分何秒ですか
そんなものは知らんよ 一生懸命走っているからいいじゃないか
#ジブリで学ぶ自治体財政

東京オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。
2020年に開催する予定でしたがコロナ禍の中での1年延期,それでも感染拡大真っただ中の首都圏で,緊急事態宣言下で完全無観客という異常事態での開催は本当に大変だったと思います。
関係者の皆さん,お疲れさまでした。
選手の皆さん,感動をありがとうございました。

さて,この東京五輪開催を少し違った切り口でみてみましょう。
東京五輪開催は成功だったのでしょうか?
いや,そりゃあんなに大変な中であれだけの大きなイベントを最後までやり遂げたんだから成功と言ってあげないとかわいそうでしょ,とか,選手の頑張る姿を見て励まされた,元気が出た,だから自分は成功だと思う,とか,逆にこのコロナ禍の中,感染拡大防止と真逆のメッセージ発信になったのはまずかった,とか,関係者がいろんな不祥事を起こしてクビになった,とか,皆さんいろんな意見がおありかと思います。
私が言いたいのは,東京五輪開催を仮に行政が行う一つの政策,事業と見立てた時にどう評価するか,という話です。

ある政策や事業が成功だったのかというのは何で評価すればいいのでしょうか。
「やるべきこと(五輪の場合,予定種目の開催)」をすべてやりとげたら成功というわけではなさそうです。
なぜなら「やるべきことをやる」ということが目的なのではなく,ある目的を達成するために「やるべきこと」を手段として選択し,それを実施しているに過ぎないからです。
例えば,待機児童解消のために保育所をつくる,という場合,保育所を作るのは手段であって,目的は待機児童の解消です。
どれだけたくさん保育所を作ったところで,それが利用実態を伴わず,待機児童が解消されなければ,事業として成功したとは評価されません。
では,東京五輪開催の目的は何だったのでしょうか。
その目的は五輪開催という手段によって達成されたのでしょうか。

五輪開催の究極の目的は「スポーツを通した人間育成と世界平和」ですが,これを目的ととらえ,それが達成できたのかどうかを測定することは難しそうです。
なぜなら,この目的は五輪開催のみによって達成されるものではなく,また五輪開催によって社会のどの部分にどのような影響を与え,それがどう変容することによって目的達成に影響を及ぼすかというロジックモデル,政策の実現手段についての論理展開が不明確だからです。
以前,「風が吹けば桶屋が儲かる」で私は,政策というものは,ある社会課題解を解決するうえで,その手段として採用する方法が,どうして課題解決の手段たりうるのかを論理的に因果関係として説明できることが一番大事と述べました。
大事なのは,風が吹くことではなく,なぜ風が吹けば桶屋が儲かるのか。
「風が吹く」「砂埃が舞う」「砂埃が目に入って盲人が増える」「盲人は三味線で生計を立てる」「三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える」「猫が減るとネズミが増える」「ネズミが桶をかじる」「桶がたくさん売れて儲かる」
この因果関係に矛盾や無理がなく,手法と課題解決の間に相当な因果関係があることを多くの人が確からしいと感じることだと思うのです,と。

東京五輪開催は,社会の何をどう変えたかったのでしょう。
「東日本大震災からの復興」「人類が新型コロナに打ち勝った証し」などというスローガンが掲げられましたが,この実現とは私たちの社会のどの部分がどう変化することだったのでしょうか。
また,それができたのかできていないのかを,何を尺度にどうやって測定するつもりだったのでしょうか。
国際的な大規模イベントとして,開催準備から開催に至る各種の公共事業や国際的な人・モノの流れがもたらす経済波及効果はどの程度見込まれていて,それは実際にどの程度得られたのでしょうか。
もちろんコロナの影響で見込み違いになった部分はあるでしょうが,評価検証するうえではこういった指標の比較も必要でしょう。
そもそもオリンピックの本来目的であるスポーツの振興,スポーツを通じた人間育成についても,それが行政の行う施策であるならばきちんとKPIを立て,誰がどうなることを目指していたのか,それは実際にそうなったのかを施策評価として検証する必要があると私は思います。

私たちはなぜ政策や施策事業をきちんと評価しなければいけないのでしょうか。
政治家にとっては,掲げた政策を実現できたかどうかは政治生命にかかわりますが,自治体職員はその評価が自分の生殺与奪につながるわけではありません。
しかし,私たち自治体職員は,地方財政法第4条で定められた「地方公共団体の経費は,その目的を達成するために必要かつ最小の限度を超えて支出してはならない」という予算執行の原則を遵守する必要があります。
すべての公費支出には「目的を達成」する義務と「必要かつ最小限度」に抑える義務が課せられているのです。
したがって,目標を達成したかどうかは必ず評価されねばならず,仮に達成したとしてもそれが必要かつ最小限度の支出であったのかが問われ,目的を達成できていない場合,あるいはその経費が必要かつ最小限度の額でなかった場合には,なぜ目標達成できなかったか,なぜ経費を最小限度に抑えることができなかったのかを考察し,より効果が出る方法,より効率的な方法へと「やるべきこと」を見直すことが求められているのです。

厳密にいえば東京五輪は行政の施策ではなく,ここで述べた話もたとえ話ですが,私たちが日ごろの業務で取り組んでいる施策事業はどうでしょうか。
例えば3年前に自分が担当していた事業の評価を,上記の視点で行ってみてください。
事業の目的は何をどのような状態にすることでしょうか。
3年経って今,その目的は達成されているでしょうか。
それはきちんと測定できているでしょうか。
多くの場合,「良好な」「適切な」「積極的に」といった定性的な語句で飾られたポエムのようなあいまいな目標水準を掲げていて,「推進する」「目指す」「図る」などその到達を名言しない逃げ道を用意しているおかげで,目標達成について定量的に測定評価しないで済ませている,逆に言えば定量的に評価することができないのではないでしょうか。
そして,評価をあいまいにすることで,やり方も体制も投入資源も見直されず,ただ事業概要に掲げられた「やるべきこと」の実施だけに意義を見出し,粛々と「やるべきことをやるだけ」が継続されているのではないでしょうか。

どの自治体ももうすぐ議会で決算審査が始まりますね。
予算を何にいくら使ったのかではなく,それで何が実現できたのか,それは当初から目指していた効果なのか,それは最も効率的な手法だったのか,という議論が行われ、その議論がより良い予算編成につながっていくことを期待したいと思います。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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