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土日の過ごし方

だいたい昼頃起きているので、休日は朝の反省はできない。朝の反省会のルールは、「午前中のうち」に更新することだから。

次女は不登校になってからあまり出かけなくなった。どこかへドライブに行こうかという話になっても、「行かない」と答える。理由は、車酔いすることと、スピードが怖いからだ。酔い止めを飲めば大丈夫なのだけど、不安感が強いうちの子たちは、なにか心配ごとがあると行動できなくなる。わたしとは大違いだ。

でも、最近は少しずつ出かけられるようになってきた。この土日は、ひさしぶりに車で木更津方面まで行くことができた。本当に久しぶりである。

帰りはさすがに疲れてたようだし、帰ってから「なんで行ったんだろって後悔している」とは言っていたけれど、後悔している理由はわかりやすくて、まだyoutubeやゲームしてたいのに寝る時間が迫ってきてるからだ。それなら出かけずずっと家にいてyoutube見てたかった、ということなのだろう。

正直、不登校になる前は、こんなことを言われたらムッとする自分がいた。「みんなで楽しくでかけたのにどうしてそういうことを言うの?」と。

でも、不登校でだいぶ鍛えられたのかもしれない。そういうことにいちいち反応しなくなった。「そうなんだ。まあ、家でのんびりも悪くないもんね。」と思えるようになった。

昔から、きっと他人に悪い意味で期待しすぎてる自分がいたのは自覚してる。悪い言い方ではない、前向きな意味で、不登校を通して「どうせそんなもん」という感覚が身についてきたように感じる。

いちいち人の言葉に期待しない。「明日は学校行ける!」からの行けないムーブ、「出かけられる!」からのやっぱ行かないムーブ。かなり慣れたよね。

イライラしないわけではないけれど、はぁ、とため息をひとつついて、自分のことをやろうと切り替えらえるようになってきた。どうしても無理なときは、まぁ、あるけども。そういうときは、「少しお願い、自分の部屋にいてほしい。」と自宅内で物理的な距離を取るようにしている。

目の前で泣かれたり、不機嫌そうな顔をされても、それらとは向き合わない。そういう対処法も必要だ。子どもだからといって、子どもの理不尽な不機嫌まで親が抱える必要はない。

ババアと言われたら。

ツイッタだったかなんだったか忘れたけれど、"息子から「ババア」と言われたらどうするか"という内容のものを見た。自分にも覚えがあるけれど、もうババアだからとつい自分に対しても口にしてしまうことがある。

ババアという言葉そのものよりも、それを悪意をもって使うかどうかというところに論点があると思う。悪意をもってそれを相手に言ったなら、息子であれば、その「ババア」はあなたの母だけど、どう思うのか、問うてみるかもしれない。

目を見て、もう一度言ってみなさい、と。

人は人を傷つけたと自覚したとき、激しい自己嫌悪に陥る。もしくは自己弁護に走ったり。とにかく感情がぐちゃぐちゃする。傷つけられるより、わたしは人を傷つけたときのほうが、自分へのダメージは大きかった。

人を傷つけたと自覚させることも、大事なんじゃないかなぁ。

わたしは人を傷つけるようなことをしない!と豪語している人よりも、「わたしも誰かを傷つけるかもしれない。」と思える人のほうが、優しいと感じる。

さて、ここまで書いてきてお昼を過ぎてしまった。書き始めは早かったのだけど、途中まで書いたところで長女を学校まで連れていったり、連れていったけど、すぐに連れて帰ったりしていたら、時間が掛かってしまった。

長女のことも、そろそろ学校とちゃんと話し合わなければいけないかもしれない。次女の小学校ほど、すんなりいくかどうか。

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