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意識低めに生きるため、という理由。

9月9日木曜日。意識低めに生きていきたいなと思う今日この頃。

わたしのなかの「意識が高い」は、ポジティブだったり、マルチタスクだったり、セミリタイアだったり、主婦でも○○だったり、副業しましょう!だったり。

正直、「好きなことでいきていく。」ことすら、だるいくらい意識が高い。

「なんでもできる人」だったり「空気読める人」だったり「先回りできる人」だったり「相手のニーズを常に読み込める人」であらねばならない、そればかり求められるようなこの世の中には、どうしても「発信(発注)する側の怠慢」を感じることがある。たまにだし、人によるけれど。

こちら(雇用する側)のニーズを読み取れる人と仕事したいという気持ちはよくわかるが、では、それを伝える努力は最大限してるのだろうか?と思うときがある。

それを感じてしまうのは、わたしが常に伝えるためのアレやコレやを考えているからかもしれない。あの手この手を変えて、伝える努力をしてきたからかもしれない。

なんでわかってもらえないなら、わかってもらえるまで話をしないのだろう?と。相手にあわせた発注の仕方ができないのだろう?、と。

せめて、一緒に仕事をすると決めたのなら。

なんて思ってしまうくらいには、意識が低まっている。究極に。

パートに落ちた

少し前、パートに落ちた。不登校児童を抱えたままでも働けそうなところを探して、夜間パートに応募したのだけど、ダメだった。

そこまでして働きたい理由は、働きたいからという理由しかないんだけど。お金に困ってるのかと言われたら、別に困ってはいない。ただ外に出たいだけ。

わかってもらないかもしれないけれど、不登校児を抱えるということは常に閉塞感と隣り合わせなんだ。

で、1ヶ月前、在宅勤務可能のパートの面接を受けた。Webで。企業お抱え系のDTPデザイナーだったため課題の提出もあった。これはまぁ、わたしがデザインから離れてかなり時間が経っていたので、ポートフォリオがなかったことからなんだけど。

課題提出時、後日採用担当から連絡しますと言われ、2週間以上経った。きっと、ダメだったんだろう。不採用の場合の連絡の有無を確認しなかったから、それは自身の不手際だったなと思った。メールを1通打って、返事がなかったことでわたしのなかの区切りとした。

意識低く生きていくために。

言葉は悪いけども、これからも冒頭のような「意識の高さ」から離れていくためにどうすればよいか、考えてみた。意識は限りなく低く生きていきたい。

ならば、やっぱりわたしは自分で仕事を作って生きていくのがいいなと思った。文章書いて、動画編集して、なんか思いついたことを形にしていく。

たまに仕事の依頼は受けるようにしよう。でも、SEOライターはやらない。キーワードだけもらってそれで文章書いてください、みたいな仕事は向いてない。必死で絞り出すあの感覚が、ああ、向いてないなと思わせた。

なぜかはわからない。だって、自分のブログはキーワードもばりっばりに意識して書いてるんだし、書けないわけじゃない。でも、書けないんです。

書けない書けないって思いながら書いてる文章なんて、誰がおもしろいと思うのだろうか。相手方にとっても、大変失礼だと思う。

文章を書くことは好きであっても、SEOのみだとどう書いていいかわからない。SEOライターを改めてすごいことやってるなと思った。本当に文章が書ける人ってのは、こういう人をいうのかもしれない。

はい、自己嫌悪。

夫の「楽しかったよ」という言葉で

夫のお小遣いを増やしたい。リフォーム費用を稼ぎたい。だから"安定した収入"がほしいと思ったりもする。だからもういいじゃんと思いながらも、昨日も派遣会社に登録した。登録だけなら無料だから。

デザインのパートの募集は夫が見つけてきた。これなら向いてるんじゃない?って。で、動いてみたものの、結局連絡もなくよくわからない状態になり、今後就活すべきかどうか悩んだので、改めて、わたしがパートで働いて安定した収入を得たほうがいいのかどうか、確認した。

「俺は、(わたしが)フリーランスやってるときが楽しかったけどね。」

過去形にすんなし。まだやってるよ。以前ほど夢中になってないだけで。

わたしも、自分で何かをやってるときがいちばん楽しいと感じる。人の役に立ってるかどうかなんてわかんないけど。そもそも、人は人の役に立たなきゃいけないのかどうかもわかんないけど。

人の役に立ちたいとかじゃなく、こんなことをしたい!ということが、人の役に立つことだったっていう感じじゃないだろうかね。

これって、自分の存在意義について考えてることになるよね。そんなもの、本当はないのにさ。ないほうが楽でいいのにね。



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