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金曜日の夜は大泣きする日


毎日夕方17時過ぎに急いで職場を出発。

18時で閉まる学童へと大急ぎで
お迎えに車を走らせる。

調子が良いと17時30時半過ぎに到着する。

帰宅は大体18時。



休む間もなく
”おなかがすいたぁーッ!”と
騒ぐ子供たちに

大急ぎで夜ごはんを作る。


金曜日の夜ともなると
わたしの体力と気力も底をつき

スマホ同様、
わたしのバッテリーが残りわずかです、と
体の疲労感が教えてくれる。


今にも閉じそうなまぶたを
何とかこじ開けながら夜ごはんを作り、


作って食べた、、と思えば
すぐに後片付けに取り掛かる。


(もはやご飯を食べながらウトウトと居眠りをするわたし…)






ふたりとも小学生になり、
自分のことは自分でできるようになってきた。

随分と楽にはなったが

お風呂に入ってねー
水筒出してねー、などの声がけや

宿題の様子、
お便りの確認など

まだ気にかけることは意外と多い。




ふと、娘の顔を見ると
いつも奥二重の目が


くっきりとした二重になっている。


これは彼女が疲れているサイン。


「今日は疲れているみたいだから、
早く寝ようね」と声をかける。





ときどき、

夜になると娘は思い通りにいかないことがあると
些細なことで怒り、そして泣き出す。


残りわずかなバッテリーの母は
白目になりながら
暴れる娘をなだめる。


色々な妥協案を提示するも、
どれもこれも文句をつけては

まるで悲劇のヒロインになったかのように
大きな声を上げて大泣きをする。



きのうはその日だった。



こういう時は、ひたすら
そうかそうかと、受け止めるに限る。


まともに向き合うとお互いに
火に油を注ぐようなもの。

さらに炎上することは
経験上身についてはいたものの、


昨夜はこちらも余裕がないために
つい言い合いになってしまった。



泣き疲れた娘が寝息を立てたところで

ため息をつきながら
夫の元へ行くと、


「おつかれ。…毎週金曜日だな」


とつぶやいた。


確かに。。。





自分が社会に揉まれているのと同じように
子供たちもそれぞれの社会で揉まれている。


特に外の顔はしっかり者で通っている娘は
余計に気を張って過ごしているのだろうと
容易に想像できる。


とくに子どもの場合は
その日あった嫌だった出来事を
言葉にして伝えることはむずかしい。


使っていたハサミを誰かに横取りされた、とか

本当は宿題を先に終わらせてから遊びたいのに
お友達のお誘いを断れず、できなかった宿題。
それが数日続くと宿題は学童でしてくる約束だったよね?
なんて親にチクリと言われたり。


理不尽な出来事も言葉にして説明するのは
大人でも難しかったりする。


そんな言葉に仕切れない
いろんな出来事を
感情に乗せて娘は家で
爆発させてくれる。


わたしはそれで良いのだ、
それが家庭の役割、と


幼いときから癇癪は
子どもたちが社会で
がんばっている証として
気が済むまで暴れさせ、
見守ってきた。




それなのに、頭ではわかっていても


つい、自分にばかり目がいっていたことが
恥ずかしくなった。

疲れているのは自分だけではない。


わかっているのに

いつの間にか
慌ただしさに飲み込まれて
余裕がなくなっている。


だって、人間だもの。←







毎週金曜日の夜に大泣きする娘、に
気づいた夫を見直した。←

過去の苦い経験から、
余裕と余白を大事にし始めた夫。


わたしの人生ドライブの助手席で

何でも詰め込みすぎたり
スピードを出し過ぎている妻に


ちょっと、落ち着いて運転しなよ、と
程よくブレーキをかけてもらっています。


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