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“31年目”の六ヶ所「核燃料再処理工場」ートイレなきマンションの行方

初夏を感じさせる7月2日、六ヶ所再処理工場(日本原燃)に向かった。
政府が“強引”に進めたGX関連法では、いわゆる“40年ルール(一度に限りプラス20年)”を超える運転が可能となったが、いまだに核燃料サイクルは未確立。最終処分場の選定も不透明だ。“トイレなきマンション”はいつまで迷走するのか。


おさらい:国内で稼働中の原発と政策

原発再稼働(審査含)が全国各地で進んでいる。資源エネルギー庁資料によれば、以下の通りだが、最近では、東電柏崎刈羽の再稼働是非が問われている。
7月15日より始まった同県民説明会では、「原発事故と地震や豪雪などの自然災害が重なる複合災害への不安や、事故時の避難などの計画に不満の声が相次いだ。」という。

出典:資源エネルギー庁

その理由は明らかだ。元旦の能登半島沖地震時、志賀原発では変圧器が破損、油漏れが発生。さらには地割れが構内でも散見。
津波等の影響が幸いなかったものの、同地より約77キロ北上した珠洲では3〜4mの隆起が生じた。「珠洲に原発はなくて良かった」と被災した高屋地区にある円龍寺の住職・塚本真如さんの言葉(各種記事)を目にした方も多いだろう。
すなわち、避難計画が全く機能しないことが顕著になったということだ。

4月17日の深夜には、四国で震度6弱の地震が発生。
四国電力伊方原発が立地する伊方町は震度4、「3号機でタービンに送る蒸気の水分を除去する加熱器タンクの弁が不調となり、熱効率が下がって発電機の出力が約2%低下したと発表した。」とのことだが、避難計画によれば、「避難計画が必要な30キロ圏に約11万人が居住。県などの自治体は事故の際、陸路のほか、港から船で大分県などへの避難も想定。」
地震災害と常に隣り合わせなわが国で、原発の“安全神話”など到底崩壊しているのではないだろうか。なぜ、ここまでしてリスクを承知の上で、原発を動かそうとするのか。以下は内閣府からの抜粋資料。避難方法など、その半島の状況から容易ではないことが想像いただけるだろうか。(参考;内閣府伊方地域の原子力防災などについて

【改定版】 伊方地域の緊急時対応(全体版)その1【印刷用】
【改定版】 伊方地域の緊急時対応(全体版)その1【印刷用】

最終処分の行方はどうか

最終処分地も未だ決まっていない。
国内における、処分地選定プロセスは文献調査(国からの交付金20億/2年程度)→概要調査(最大70億/4年)→精密検査(未定/14年)となっている。

図:讀賣新聞『核のごみ最終処分場、次段階調査へ北海道2町村は「適地」 事業主体が報告書案を公表』(2024,2,13)

北海道寿都町と神恵内村では、文献調査の報告書案が2月13日に公表され、次の概要調査に進む適地があるとして、移行が可能と判断された形となった。
また、佐賀県玄海町では、5月10日に町長が調査の受け入れを表明した一方、同30日に、県知事は、「県としては受け入れない意向」を経産省に示している。

そもそも前述したように、我が国は地震が多く、その分活断層の動きも科学的知見の集約・予測で絶対はないと言えるのではないだろうか。
筆者も関わる、超党派「原発ゼロ・再エネ100」の会でもヒアリングを重ねてきたが、原発問題で分断される町・地域の責任を誰が取るのか。
原子力規制委員も発言した、急かされた議論かつはじめから茶番な政策審議であってはならないはずだ。

核燃料サイクルは、夢のまた夢?

それでは、本題の核燃料サイクルについて見ていく。
今回は、近藤昭一議員(衆・立民)、山崎誠議員(同)、大椿ゆうこ議員(参・社民)、そして、関係市民団体の皆さんの視察に同行させていただいた。
八戸駅からは、車で約1時間半ほど。途中、風力発電を横目に、下北半島へ。

はじめに見学(集合場所)したのは、六ヶ所原燃PRセンター

六ヶ所原燃PRセンター

ここでは、いわゆる“核燃料サイクル”の流れを見ることができるが、そもそもどんなものか。資源エネルギー庁HPによると以下の通りだ。

資源を有効活用し放射性廃棄物を減らす「核燃料サイクル」
「核燃料サイクル」とは、原子力発電で使い終えた燃料(使用済燃料)の中から、ウランやプルトニウムといった燃料として再利用可能な物質を取り出し(再処理)、この取り出した物質を混ぜ合わせて「MOX燃料」と呼ばれる燃料に加工して、もう一度発電に利用する取り組みのことです。

この核燃料サイクルには、以下の3つのメリットがあります。
・資源を有効利用できる
・高レベル放射性廃棄物の量を減らせる
・高レベル放射性廃棄物の有害度を低くできる


使用済燃料には、ウランやプルトニウムなどのまだ燃料として使える資源が95~97%残っていて、回収して再処理をおこなうことで再利用することができます。

資源エネルギー庁『使用済核燃料を有効活用!「核燃料サイクル」は今どうなっている?」』(2023,07,18、太字部分筆者加筆

“資源に乏しい”わが国での核燃料サイクルの実現は悲願だったのかもしれない。
その先の夢を実現すべく多額の税金と労力が費やされたのが、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)だ。1985年の着工以来、2016年12月に廃炉が正式に決定した。
「使った燃料以上の燃料を生み出す」という役割を期待されていたものの、1995年12月8日には、2次主冷却系配管からナトリウムが漏えいする事故が発生した。
現在、廃止措置の完了時期を2047年とし随時作業が行われているが、同「敷地に計画されている研究用原子炉について、日本原子力研究開発機構(JAEA)は7日、整備費用が1500億円規模に上ると明らかにした。全額が国費負担。実現すれば、東京電力福島第一原発事故以降、商用炉を含めて初の新設となる。」という報道も出ている。原発推進をいつまで続けるのか…。
※もんじゅに関しての記事を探している際、大変お世話になった原子力資料情報室共同代表であった伴さんのコメントを見つけた。ぜひご一読いただきたい。

多少話が逸れたが、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出す“再処理工場”が六ヶ所再処理工場だ。
完成すれば、年間最大800トン、原発約40基分の使用済み核燃料を処理できるというが、トラブル続きで、1993年から31年、“27回目の正直”とも揶揄されるほど。
この間現在に至るまで、東日本大震災1F事故のように、原発をめぐる深刻事故があったにも関わらず、なぜ確立を目指すのか。
写真を交えて現地の様子を詳報する。

再処理工場では何が見れるか

入構前に意見交換含め、注意事項を日本原燃の方から伺った。
再処理工場の現状、地域との関係などのお取り組みが主だった内容だ。
その後、PRセンターへ移動。核燃料サイクル(模型)を見た。

意見交換する議員と市民団体の皆さん

地下を入れて4階建てのセンターでは、“原燃ツアーズ”と称して、スタッフの方から一般の方も案内いただける。
視察団一行は、はじめに、3階の展望ホールから処理工場を見た。

見学時は、各所を専用バスで巡る。一番右が、再処理工場。
拡大しているが、裸眼だとだいぶ小さい
写真正面の建物がPRセンター横の事務館?後ろには風力発電が多く見える。
八甲田山には雪が積もっていた

続いて、サイクルの仕組みを見学したが、工場内での写真撮影(提供も無し)が不可だったので、各レプリカをもとに詳報するが、実際に窓越しで見学できたのは、「高レベル放射性廃棄物貯蔵建屋」と「使用済み燃料受入れ・貯蔵施設」であった。(なお、構内は基本バス移動で、貴重品以外の持ち込み不可。生体認証を幾度か通過。)
まずサイクルの流れは、以下の通りだ。

資源エネルギー庁HP

この行程の前に、各原発からの核燃料を輸送(陸上・海上)があるが、こちらの図では、再処理工場での受入からとなっている。
全体の行程は、中央制御室にて管理し、60人(5班3交代制)でということだ。

そもそも、使用済み燃料は、冷却しないと温度が上昇し続け、2800度に達すると融解する。この状態となったのが福島原発事故であり、“燃料デブリ”として溶け、いまだに廃炉作業を難航させている要因だ。
使用済み燃料は、近寄ると20秒ぐらいで、人が死んでしまうぐらいの強い放射線が出ているとされ、10万年は隔離しなければならないとされている。

(使用済み)核燃料レプリカ

使用済み核燃料を剪断・溶解するプロセスでは、金属片が発生し、貯蔵庫で保管されるが、再処理過程で5%は再利用できない廃液が生じ、これをガラス固化することになる。※六カ所では、東海再処理施設をモデルにしている。
ガラス固化体は、「直径が約40cm、高さが約1.3mの筒型で、総重量は約500kgです。製造直後は、表面の放射線量が1,500,000mSv/hと非常に高い値になります。これをオーバーパックという厚さ約20cmの金属容器に包み、50年が経過すると、放射線量はオーバーパックの表面で2.7mSv/h、1m離れれば0.37mSv/hまで低下します。さらに、オーバーパックに包まれた状態で1000年が経過すると、表面で0.15mSv/h、1m離れた場所では0.02mSv/hまで低下します。参考までに、胸のX線検診1回で受ける放射線量は0.06mSv」というものであるが、国内では、製造できていないという現状。
今回ヒアリングをした際、2006年からガラス固化のテストをスタートしたというが、いまだにうまくいっておらず、フランスやイギリス頼みの状況だ。

15年以上冷却した使用済み燃料を貯蔵プールから1本ずつ運ぶイメージ
続いて、剪断
剪断後、硝酸溶液に溶けたウラン・プルトニウム、核分裂生成物(高レベル放射性廃棄物)を分離
実際の10分の8モデル?

フランス・イギリスからそれらを持ってくる際、海上→陸上輸送ということになるが、200度もの高温であり、冷やしながらの移動という。

使用済燃料は、キャスクという専用容器に入れられて輸送される

2024年6月末現在、1,830本の固化体が保管されているが、これも国内でのサイクルが実現しないと永遠に溜まっていく。
見学エリアからは、オレンジ色の丸い印ばかりが見える限りであるが、その下(上蓋:1.9mのプラグ)に縦に9個の固化体が保管されており、その空間に空気が流れ自然冷却。空気の入り口と出口の温度差は25度になっているとのことであった。これもいつ満杯になってもおかしくない。

地層処分についての展示もあり

前後するが、使用済み燃料受け入れ貯蔵施設、いわゆる核燃料プールは、1999年12月から先行運転しているが、99%が満杯になり、受け入れられない状態になっている。イメージとしては、水深12メートルの大きなプールが3つ。
再処理工場が竣工すれば、800トンずつ減っていくので、発電所からの核燃料を受け入れられるというが、実際は、ぎっしりと燃料が詰められている状態だ。

なお、これまでの受入回数が、99回。
受入量(推計)約3,393トン/13771本
在庫量 約2,968トン/12069本

そして、水で放射線が遮へいされるため、作業において大きな被ばくの恐れ等はないということだった。しかしながら、繰り返しになるが、冷却し続けないと、温度は上昇。そのための電源確保は、必須だ。
現在、稼働から15年近く経過し、燃料もだいぶ冷めていると想定され、水温は、25度前後とはいうが、実際はどうかである。

なお、建物の天井は、1.5~2メートル以上(?)の鉄筋コンクリートでテロ対策がされている。これは至極当然。というのも、仮に攻撃に遭うことがあれば、日本壊滅も免れないという規模の廃液・使用済み燃料を抱えているからだ。
この点、外務省では密かに研究していたこともある。詳細は、朝日新聞記事を参照されたいが、山本義隆氏も「(六ヶ所再処理工場が完成したならば)年間処理能力800トン、東海パイロット・プラントの約4倍の規模であり、実に年間核弾頭1千発に相当するプルトニウムを作りうる施設」と近著「核燃料サイクルという迷宮 核ナショナリズムがもたらしたもの」(みすず書房2024年、P231-232)で指摘している。

また、1Fもそうだが低レベル放射性廃棄物も生じることを忘れてはならない。電気事業連合会HPには以下の通りあるが、自然には還らないのである。
ゴミばかり増やし、“クリーン”か“グリーン”かもわからない原発はGXに貢献しうるのだろうか。

固体状の廃棄物
使用済みのペーパータオルや作業衣など放射能濃度の低い雑固体廃棄物は、焼却、圧縮などによって容積を減らしてからドラム缶に詰め、原子力発電所敷地内の固体廃棄物貯蔵庫に安全に保管されます。
フィルター・スラッジ、使用済みイオン交換樹脂は貯蔵タンクに貯蔵し、放射性物質の濃度を減衰させてから、ドラム缶に詰め、原子力発電所敷地内の貯蔵庫に保管します。
ドラム缶に詰められた廃棄物は、その後、青森県六ヶ所村にある日本原燃の「低レベル放射性廃棄物埋設センター」に運ばれ、コンクリートピットに埋設処分されます。
使用済みの制御棒などの比較的放射能レベルの濃度が高いものは、発電所の貯蔵プールに貯蔵保管したあと、容器に封入し、施設内に安全に保管。その後、地下70メートルより深い地中に埋設処分します。

電気事業連合会HP「低レベル放射性廃棄物の種類と処理」
資源エネルギー庁HP「放射性廃棄物について」
PRセンター内のレプリカ。六ヶ所では、1から3号埋設があり、最終的には、200リットルドラム缶300万本相当を受けれる予定。現在は、1号;15.9万本、2号;20.3万本となっている。

本当に核燃料サイクルは確立されるのか

工場内は、基本的に専用バスに乗車しての移動であった。
途中、尾駮沼付近を通過したが、緊急時はここに大型輸送ポンプ車をつけて、標高約55メートルの高さにある工場群の冷却対応にあたるという。仮に、冬季に沼が凍ってしまっても、水深が最深で約2.5mほどと浅いことと取水ポイントも複数あること、貯水槽も2つあるので、問題はないという。
その他にも、使用済み核燃料輸送用トラック専用の大きな幅の道が整備されていたり、非常用電源車、ブルドーザ、揚水用特殊車なども見ることができたが、自然災害時に道路が寸断され、通行不可となった場合はどうなるのか。
また、排気塔の竜巻対策が施工中であり、あらゆる観点から工場竣工後の体制が進めれれていることがわかった。

日本原燃配布資料。赤く示されている各拠点を順に回った。

前述したように、既に30年以上計画が頓挫している。
筆者以外に参加されていた方の中には、「来るたびに建造物が変化している」と仰っていた。それは対策や、何よりも竣工に向けてのあらわれと言えるが、やはり年月を費やしても費用ばかり嵩んで行くという実情である。

ちなみに、資源エネルギー庁および、規制庁によれば六ヶ所以外も含めての使用済み燃料の貯蔵容量は、約2.4 万トン。以下、詳細と図を参照いただきたいが、本稿で触れられなかった乾式キャスクも含め、広義の“貯蔵”、裏を返せば原発の“ゴミ”処分問題は稼働し続ける以上、切っても切れない課題だ。

今後、2020年代半ば頃に4,000トン程度、2030年頃に 2,000トン程度、あ
わせて6,000トン程度の貯蔵容量拡大を目指していくことで、2030年頃に容量
約3万トンを達成する計画。
具体的には、原発敷地内での乾式貯蔵については、
・四国電力の伊方発電所:500 トン
・九州電力の玄海発電所:440 トン
・中部電力の浜岡発電所:400 トン
・日本原子力発電の東海第二発電所:70トン原発敷地外での貯蔵については、リサイクル燃料貯蔵株式会社のリサイクル燃料備蓄センターが3,000トン規模で事業開始するべく取組を進めているものと承知。

超党派「原発ゼロ・再エネ100の会」への資源エネルギー庁回答(2024年6月)
同上、原子力規制庁回答(2024年6月)

最後に、意見交換の際に出た内容を簡単に記す。
・国の検査待ち状態。アクティブ試験の結果を2013年から待っている。
・ガラス固化に流れてくるプルトニウムは無い。
・新規制基準に関する工事は完全には終わっていない。
報告書ミス(3000ページ)の件。誠実に取り組んだものの、落差があった現実をどうするのか、どう捉えているか。
・(地震・自然災害等を踏まえ)配管を支えるポイントを強化している。
避難計画は、自治体が作成しており、村の南部に避難することになっている。日頃から、自治体側との意見交換をしている。
・再処理の重大事故が「蒸発乾固」と思うが、その対策はされてるのか。 等

現地では、工場竣工に向けて原燃社員(3100名)と協力会社(6000〜7000名)の方が昼夜問わず作業に尽力されていることに敬意を表するとともに、対応いただいた皆さんに感謝します。
関係市民団体の皆さま、議員方々に同行の機会をいただいたことにも合わせて御礼申し上げるとともに、今後も本当に我が国に原発が必要か?民主的・公開的に“反省と教訓”を生かした政策論争、そして、“原発ゼロ”、再エネを中心としたエネルギー政策が進ことを祈るばかりだ。
他方、安全保障上、テロなどの有事も含め、原発政策を進めていくことの意味も考えていかなければならない。
私たちにとって必要なのは、眼前のことか。または、将来に残していくものか。
原発政策は、その岐路に立たされている。

視察団一行。後ろは、PRセンター

↓内容は別として、実際に見学したところの映像がまとめられています。

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