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小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。

北村薫が『空飛ぶ馬』のあとがきに書いている。

たしかにそうなのかもしれない。
何万通りの人生でも体験しうるわけだから。

読む側にいると感じる自分だけではなく、書く側にいる作家の方もそのように感じているかもしれないと知って新鮮だった。

たった一度きりの人生だと自分のやりたいことを全部やるなんて不可能だ。できることなら、わたしだってかわいい女の子にも、だれにも媚びないかっこいい姿勢を貫く孤高の存在にも、高校時代になりたかった。
でもそれはできない。
だから自分の代わりに物語の中でいろんな人を動かして、作品を作り上げているのかもしれない。

作家の中には、自分が作り上げているという感覚の人と、もともとあるような世界の中をのぞいているような感覚の人と…いろんな方がいらっしゃるのだろう。
「烏シリーズ」の阿部智里さんは、後者の感覚だと語っていた。

作家の方がどんなふうに自分の物語を生み出しているのかを垣間見るのはとても楽しい。

何も持たぬわたしですが、全力であなたのサポートを活かした「なにか」をします!いまはわたしが沢山の知識と文化とアイデアと記憶を吸収するために使います!