見出し画像

他人から、どう見られているのか

僕は「どう見られているのか」が気になっている。子どものときから、ずっとそうだったように思う。

親には長いこと、「普通にしなさい」と言われていた。子どものときから自分なりに頑張ったつもりだが、親の反応を見るに、全然、駄目だった。

学校では、いじめがあり、登校してから家に帰るまで、一切、喋らなかった。しかし、何もしていなくても蹴られたり、死ねと言われたりする。

「やっぱり自分は普通じゃないんだ」と感じる日々。

いつしか、「何もしないこと」が身を守るために必要なことになった。
学校では、休憩時間でも俯いて机から動かないようにしたし、家では両親の要求に頑張って応えた。暴力を振るわれても耐えた。

他人から、自分はどのように見えているのか。
どうすれば、攻撃されないようにできるのか。
どんな振る舞いが最適なのか。

そういうことを考えていたら、高校生になった。

高校生になって、初めて入ったいじめのない教室。クラスメイトと「おはよう」と挨拶できる当たり前に、最初はすごく驚いた。

それから、精力的に活動するようになったけど、「自分は他人から、どう見えるのか」は、大きなポイントだった。

教職員向けのシンポジウムに登壇したときは、「いじめを受けた当事者である高校生」らしい振る舞いを考えたし、新聞の取材が来たら記事にしやすいインパクトのあることを言った。
学校では「生徒会長」としてしっかりした生徒であろうとしたし、アルバイトは辛かったけど「ちゃんと働いている人」でいるために続けた。

自分という人間が、どのような人間だと思われるのか。それを考えて、常に動こうとする。そういう癖がついていた。

今でも自分のなりたい自分と、周りを気にしてしまう自分がいる。どちらがどう影響して、今の自分になっているのか分からない。

しかし、歳をとるに連れ、少しずつ「自分がなりたい姿」へなれるようになってきたと感じる。

いろんな服装、振る舞いを経て、今はサムネイルの左側のような感じになっている。(髪はマッシュでパーカーを着てる)

その時々で、着たい服や振る舞いが変わっているけど、「やりたいようにできるのは、すごく楽だ」ということか分かってきた。

それに加え、最近はいろんなことに対する「やる気」を失っていて、「どう見られているか、気にするのがめんどくさい」と思うようになった。

とにかく、いろんなことがめんどくさいのだ。

そういったこともあって、もしかしたら、今が一番、楽な自分かもしれない。
他人にどう思われても、着たいものを着たいし、好きな振る舞いをしたいし、「いい感じだな」と思える自分でいたい。

どこか、「他人に何て言われるか分からない」というような恐怖はあるけれど、なりたい自分になっていきたいと思う。

100円からサポートというかたちで投げ銭ができます!面白いな、いいなと思ってくださったら、ぜひサポートしてください。活動費にさせていただきます。よろしくお願いいたします。