中途半端な神経質
父親譲りの神経質で
子供の時からちょいちょいしんどい。
*
娘がお腹にいる時
通っていた産科医の影響で母乳にこだわっていた。
しかし持病もあったりして里帰り出産となってからは
当たり前だが病院も変わった。
持病のため出産は難儀だったが、今回そのことは置いておく。
母や助産師さんには大変お世話になった。
やっとの思いで娘が出てきてフギャーと泣いた。
わたしの初乳を!
免疫力がすごいらしいんだ。
どうか初乳を!
分娩台に横たわったままヨロヨロ懇願したが、
こちらの総合病院ではまず砂糖水を飲ませるようだ。
娘を抱え看護師さん(助産師さんだったかも知れない)は困惑していた。
わたしと娘を交互に見ながら
「と、とりあえず砂糖水あげますよ!」と、そのまま娘にそれを飲ませた。
ああ……。
わたしはチカラ尽きた。
その前からとっくにチカラ尽きてはいたが。
結局そのあとも、自分が飲んでいる薬のせいで母乳はあげられなかった。
妊婦期間も含め、長い長い里帰りが終わり、夫と娘と3人で当時の転勤先熊本に戻った。
戻ってからも母乳へのこだわりが消えないわたしは、通っていた小児科でしか売ってない高い粉ミルクを購入して飲ませた。
その成分がより母乳に近いらしい。
地元にいる数ヶ月、すでにドラッグストアで買えるミルクをあげていたのに。
その前に発動していた神経質は哺乳瓶の消毒である。
毎回洗剤で洗ったあと、ミルトン(安全な消毒液)につける。
ミルトン命。ミルトンにつけない哺乳瓶なんて。
が、どのくらい経った頃だろうか。
ふと「これいつまで続くん?」と思った。
思った時期が梅雨だったので、梅雨が明けたらミルトンを卒業することにした。
実際にした。
ミルクの話に戻る。
やはりふと「もう良くない?」と思った。
ミルクの味が変わると飲まなくなる子もいるらしい。
恐る恐る、ドラッグストアで買える、お値段も一般的な粉ミルクを娘にあたえる。
……
普通に飲んだ。
次は離乳食。
大人と同じ鍋は使わない。油なんかが混ざったら大変!
新しく買った小さな雪平鍋の持ち手に、娘の名前を書いたシールを貼った。
夫にも、間違ってもこの鍋でラーメンなど作らぬようにと釘をさした。
その鍋で芋やかぼちゃや米を煮た。
娘は食べなかった。
何度も作ったが食べなかった。
どうしようどうしよう……。
ドラッグストアに行った時ふと思った。
「ベビーフードで良くない?」
日本のベビーフードの審査基準は非常に高いらしい。
つまりとても安全良質。
早速娘に食べさせる。
パクパク食べた。
娘の名前が貼られた雪平鍋は、そのままラーメン専用鍋になった。
サイズがちょうどいい。
ミルクから牛乳への初移行。
これまた味が変わって飲めない子もいると聞いていた。
その頃にはもうコップで飲めるようになっていたので、恐る恐る牛乳をいれたコップを娘の前に置く。
……
飲んだ。
器用に普通にゴクゴク飲んだ。
アレルギーもないようだ。
初トマトの時も恐る恐るだった。
小さく切った生トマト。
娘の前に差し出すと、なんなくパクパク食べた。
ドンドン食べる。
「すごいねー!美味しいねー!」
なんて言ってたら
オロオロオローーーとリバースした。
慌てて娘の名前を叫んだが、リバースし終わると娘はケロッとしていた。
食べすぎただけだ。
結局わたしの中途半端な神経質は、すべて徒労に終わった。
というか娘の大概なことOKな体質性質に感謝しかない。
母乳でなくとも、ベビーフードでも、娘は大した病気もせず元気に育った。
実はオムツにもこだわっていたが、同じく途中で安価なものに変えた。
これといって問題はなかった。
*
このようにわたしの神経質はむかしから中途半端ではあるが、鈍感で大概のことはどうでもいい夫と娘に挟れると、自然と際立つ。
ほんとはわたしも彼らみたいにボケっとしておきたい。ほっぽらかしておきたい。
でもみながみなそうだと、家のあれこれ無茶苦茶やん。
父親譲りの神経質は、やっぱり今も
ちょいちょいしんどい。
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