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私のおじいちゃん

小学生の作文みたいだ。

おじいちゃんに会いたい。
ちょっと疲れたり、物思いに沈む時、なぜかおじいちゃんに会いたくなる。
明治生まれで、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜いたおじいちゃん。99歳まで長生きし、枯れるように老衰で亡くなった。入院することもなく。

私はおじいちゃんが75の時の末孫で、物心ついた時には、それはもうたいがいな“お爺さん”だった。
小さい頃、今はなくなってしまった本家ほんけに行くと、まず大きな声で挨拶をした。
椅子に座って読書か書き物をしているおじいちゃんの耳元に向かって、
「おじいちゃん!来たよー!」
「お、来たんか?」
おじいちゃんが振り向く。そして机の引き出しから、あらかじめ用意してくれていたお小遣い袋を取り出し、私と兄にくれるのだ。◯◯さんへ。祖父より。いつもそう書かれてあった。

体は至って健康だったが、当時80を過ぎていたであろうおじいちゃんは耳が遠くなっていた。足も少し悪く、外出時には杖を使っていた。そしていつも黒い中折れ帽をかぶっていた。背筋をシャンと伸ばして歩き、家の中でもゴロゴロ寝そべっているところを見たことがない。大体いつも机のとこに座って、読書か書き物をしていた。

夏になると誰よりも早くおじいちゃんから暑中見舞いが届いた。
それは私が大学に進学した後も、社会人になってからも続いた。
特に学生時代には、手紙のやり取りもよくしていた。
学生寮の部屋で、おじいちゃんに手紙を書いている場面を未だに思い出す。
寮の窓から見える紅葉した樹々が綺麗で、その様子を書いた覚えがある。
そしておじいちゃんからの手紙やハガキには、必ず「健康に留意し、学問に精進して下さい」と書かれていた。

留学中にはエアメールも送ってくれていた。
中国に留学していたのだが、宛名のとこに“中華民国”と書かれていて、ちょっとドキッとした。よく無事に届いたなと思う。中華人民共和国だからおじいちゃん……。

おじいちゃん、仕事辞めたんよ。なんか空っぽになっちゃったよ。
私もいい年になってね。でもいろいろしんどい。どう進めばいいかわからん。お金もないわ。

「ほうか」

おじいちゃんの声が聞こえるようだ。
お喋りではなかったおじいちゃん。父はお喋りなのに、その父であるおじいちゃんは静かだったね。きっと「健康に留意し、◯◯私の名前らしく精進せえよ」って言うかな。

何年前になるだろう?
今なんて比じゃないくらい疲弊していた時、おじいちゃんとこに行きたい!って言って、夜、線路の脇に立ったことがある。
おじいちゃんのとこに行きたいって泣いてたら、右の空辺りにおじいちゃんの顔が浮かんだ。
「まだなぁよ(来るなよ)」
おじいちゃんがそう言った。気がした。

気づくと、当時まだ小学生か中学生だった娘が「帰ろう?」と迎えに来てた。

後に娘は、その時の私の真似をしては笑い転げた。
「お、おじいちゃんのとこに行くーー!うっうっ」

笑い話にしてくれてありがとう。娘、あんた凄いね。

おじいちゃんがエアメールに同封してくれた写真が今も手元にある。
老人会に参加した時のものらしい。写真の上に薄い紙(トレーシングペーパー)を貼ってボールペンでなぞり、それぞれに自分の名前、長尾さん(仮名)、谷口さん(仮名)と書かれている。几帳面なおじいちゃんらしい。
おじいちゃんてすぐわかるし。長尾さんて誰や。当時もそう思って笑った。
残念なことに肝心の手紙が見つからない。今度実家の押し入れをを漁ってみよう。

おじいちゃん、
もうとっくにどこかの誰かに生まれ変わってるかも知れないけど、末孫の私のこと、これからも見守っててね。ひ孫のことも。

***

さて、夕飯の準備でもするかな。


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