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七草粥の日、noteをはじめてみる。

noteをはじめてみる。


本日、27歳の誕生日を迎えたので🥳
「note」をはじめてみます。

毎年七草粥を食べています。


普段は、三重県の大学・高校を中心に、自身の経験も絡め、起業家教育や探究学習の文脈で講演などしています。
https://nana93dou.wixsite.com/gapnavi

大学生で起業、ベンチャー入社でダブルワーク

経歴を字面にすると、それはそれは大層な感じですが、実際は全然そうでなくて…笑
とはいっても、何者か説明する部分で「起業して」とか「代表をしてて」「執行役員で」とかついついいってしまうのは、肩書の鎧を使って人からのジャッジから自分を守りたがっていて、何者かである必要がある。肩書ではないといいつつ、自分の中にもまだバイアスがあるのかも。

今後の自分の振り返りのため、こうしたもやもやについて自分なりに色々考えること、学んだ事・目に入ってきた情報などを、ここに発散させていこうと思います。
自己満メモが、副産物的に誰かの「安心」や「気づき」になればいいなぁー。

不登校時代に感じたありきたりな不安。

普段は、「明るい」「バイタリティがある」と言われがちな自分ですが、小学5年生から中学生まで、不登校で、中学校にいったのはたった3日でした。
よく講演でも、しくじり先生として話すネタです。

①誰かの役に立つような人でないと生きる意味ない?
小学生に上がる前に母が家を出ていき、幼心に「自分がいい子であれば母は帰ってくる」と思い明るい優等生を貫き続けました。
でも、母は帰ってこない。よく言われた言葉は「あなたは大丈夫でしょ」
何のために頑張るのか、何が大丈夫なのか。

少しずつ雪解けしつつあるのですが、自身の根底にある「宿題」です。
ふとした時に、100点を目指しすぎて周りに人が見えなくなって勝手に失望したり、昨年骨折した際に何もできない自分に、当時の不登校時代を重ねてめちゃくちゃ病みました笑

②一度失敗した人は幸せになれない?
大人を信用できず、エネルギーの使い方を間違え、ハリネズミ状態で不登校になり、真っ当に社会人になれるのか。そもそも高校にいけるのか?
社会の中に自分の居場所はあるのか?
失敗した自分はもう駄目だと、負のループでした。

やっぱり未だに挑戦はこわいです。
年々、人の目も気になり、年々こわいです。
でも、ちょっと怖いくらいの挑戦をしてみると、世界がひろがり、ちょっぴり自分に自信がついていく事をしっているのでやめられないし、この体験の機会をより多く世の中に生み出したい。

③社会との繫がりは心の安心
自分は一人ぼっちだと思い込んでいたあの頃。
繫がりがあることは、心の栄養としてめちゃ重要。
誰もが、「ただ自分があるだけで、繫がりを感じていられる」そういう関係性を、世代や所属を超えてより多く作りたい。

「本当に大事なのは何か?」

ある研修の最後に、講師の方と受講生との会話が未だ印象に残っています。
「自分を幸せにしようと思うと、周りも幸せでないとと気づくんです。」

年末に読んだ本の中には、「自分たちの範囲を広げる事。そのために、人を愛すること。愛する人の幸せを思うと、色んなものが愛する人を取り巻くことを知り、より多くのことに関心をもつようになる。」

まだまだ、私にとっての大事は探し中ではありますが、自分と周りの人が幸せになるためにどうあるべきか、自分たちが将来いる社会、子どもや孫が生きる社会はどんなのがいいのか。


今晩も、もやもや楽しんで考えて眠ります🐏



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